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日本の健康のため「水泳」ができること。水泳の歴史を継ぎ、未来へ繫ぐ。私たちが泳ぐ理由

それぞれのステージで世界と長く戦い続けてきたレジェンド、乾友紀子さんと松田丈志さん。そんな二人に長く水泳を続けるモチベーションについて伺った。また、二人が口を揃えて思い出深いと語る、全国JOCジュニアオリンピックカップのサポートを35年にわたって続ける東京海上日動。なぜジュニアアスリートを支え続けるのか、水泳というスポーツを応援し続けるのか。そこには、水泳を通じて社会が抱える問題を解決できるのではないか、という願いが込められていた。

取材・文/田坂友暁 撮影/大嶋千尋 ヘア&メイク/村田真弓

初出『Tarzan』No.883・2024年7月4日発売

左から乾友紀子さん、松田丈志さん
教えてくれた人

乾友紀子(いぬい・ゆきこ)/アーティスティックスイミング選手。1990年生まれ、滋賀県出身。2013年から日本代表のエースとして活躍。リオデジャネイロ五輪ではデュエットとチームで銅メダルを獲得。23年に現役を引退。現在は井村アーティスティックスイミングクラブで後進の育成に当たっている。

競泳・松田丈志(まつだ・たけし)/1984年生まれ、宮崎県出身。自由形とバタフライで活躍し、2016年に引退。体育学博士、スポーツジャーナリスト、日本オリンピック委員会理事、日本サーフィン連盟理事、日本水泳連盟アスリート委員を務めるなど活動は多岐にわたる。

だから泳ぎ続けられた。水泳への原動力と楽しさとは?

松田丈志さん(以下松田さん)
僕が水泳を始めたのは4歳でした。競泳が楽しいと思ったのは、小学生の時に出場した九州の大会がきっかけでした。
乾友紀子さん(以下乾さん)
私は幼稚園の時にアーティスティックスイミングの世界を初めて知って、水の中で踊るのって楽しそうだな、と思ったのをきっかけに始めました。

できない技ができるようになったり、たくさんの音楽に合わせて泳げるというのが楽しかったですし、それが競技を続けるモチベーションでした。

競技中の乾友紀子さん

東京五輪後、ソロに専念した乾さんは世界水泳選手権2連覇を達成。『鳳凰伝説』は世界でも語り継がれるほどの代名詞となった。

松田さん
僕はタイムがモチベーションでした。水泳は頑張ったら頑張った分だけタイムが縮まるんですよ。何より自己ベストを出せるのがうれしくて、そこにやりがいを感じていました。

上には上がいる厳しさ、 勝利のうれしさを教えてくれた

乾さん
小学6年生の時にチームを移籍したんですけど、タイミングよく全国JOCジュニアオリンピックカップで優勝できたんです。それがすごく自信になったのを覚えています。
松田さん
小学4年生でジュニアオリンピックカップに初めて出場した当時、その年齢区分では宮崎県でトップだったんですけど、ジュニアオリンピックカップに出たら、最下位だったんですよ。「え、まじか?」って(笑)。

自分よりも50mで2秒も3秒も速い選手がゴロゴロいるのを見て、全国ってすごいなって思った記憶がありますね。それと同時に、いつか決勝に残れるようになりたいな、という気持ちが芽生えたのもこの時でしたね。

What’s JOC

ジュニアオリンピックカップは世界への登竜門

18歳以下のジュニア選手を対象とした、年齢区分別の全国大会。夏(8月)と春(3月)の年に2回行われる(アーティスティックスイミングは夏のみ)。代表選手全員がこの大会出身。まさにジュニア選手たちが世界を目指すうえでの「登竜門」なのだ。

また、大会ごとに制作されるポスターデザインも楽しい。毎回違うキャッチコピーも添えられ、頑張ってきた子どもたちを称える言葉に多くの選手たちが励まされた。

過去大会と2024年度のポスターデザイン

乾さん
年齢区分がハッキリ分かれているので、普段組まないチームメイトとペアを組むこともあって、それが新鮮ですごくいい思い出になりました。
松田さん
僕自身もずっと目標にしてきた大会でした。東京海上日動さんも長くこの大舞台を支えてくださっていて、本当にありがたいですよね。
乾さん
そうですね。私にとっては勝つ喜びを教えてもらって、優勝することがこんなにうれしくてモチベーションになる、ということを教えてもらった大事な大会でした。

目標に挑戦し続けることが何よりも大きなモチベーション

松田さん
乾さんが長く競技を続けられた原動力は何だったんですか。
乾さん
やっぱり好きで楽しかったからですね。それに、長く競技を続けよう、と思っていたわけではなく、毎年目標を立てて、それに向かって走り続けていたらこの歳になっていた、という感じです(笑)。

最終的には、すべてやりきった、という思いがあったので引退しようと思った、という感じです。松田さんは何が原動力でした?

松田さん
僕は五輪ですね。やっぱり五輪で金メダルが取りたくて、もう一回チャレンジしよう、の繰り返しで、結果的に4回チャレンジしました(笑)。

それに子どもの時と変わらず自己ベストを出したい、という気持ちが強かった。だから、もう自己記録が出せないなって思ったことも、引退を決意したきっかけのひとつでしたね。

競技中の松田丈志さん

アテネ、北京、ロンドン、リオデジャネイロの五輪4大会に出場し、銀メダル1つ、銅メダルを3つ獲得。代表キャプテンとしてもチームを牽引した。

やっぱり水泳が好き。水泳を楽しむ人を増やしたい

乾さん
選手時代から、どれだけ練習がきつくても、プールに遊びに行きたいって思えるくらい水泳が好きで、プールが好きでした。だから、引退したといってもわざわざ水泳から離れる必要性はないと思い、自分の経験を生かせる指導者になりました。

教える立場になって感じるのは、目標に向かって全力で取り組んでほしい、ということ。もし目標を達成できなくても、積み重ねてきた努力は経験として、必ず自分の人生に生かすことができる。

だから、目標に向けて頑張った自分の努力を認めてあげて、その経験をいろんなことに繫げてほしいと思っています。

松田さん
今はトライアスロンに挑戦しているんですけど、やっぱり僕は自己記録更新がモチベーションです。週に1回は泳ぐようにしていて、すごく気持ちよくてスッキリする。

僕や乾さんみたいに競技としてだけではなく、プールを楽しんで、生涯にわたって水泳を楽しむ人が増えるとうれしいですし、そういう人たちをもっと増やせるような活動をしていきたいですね。

なぜ東京海上日動は水泳のサポートに取り組むのか。ジュニアオリンピックカップと歩んだ35年

水泳種目ってこんなに多彩! 頑張る子どもたちを応援したい

スポーツにも遊びにも勉強にも、目の前にあるそのすべてに全力を注ぐからこそ、光り輝く子どもたち。東京海上日動は、そんな子どもたちが活躍する、水泳の全国JOCジュニアオリンピックカップを1989年からサポート。

競泳に飛込、アーティスティックスイミング、オープンウォータースイミング、そして水球と、それぞれのステージで頑張る子どもたちを応援し続けている。

「水泳というスポーツを通じた健康なカラダ作りはもちろんのこと、青少年の心身の健全な育成をサポートしたい。そういう思いがあって、ジュニア選手たちを応援しています」

水泳なら老若男女が楽しめる! 最も身近なスポーツの一つ

取締役会長を務める広瀬伸一氏

東京海上日動火災保険株式会社 取締役会長 広瀬伸一氏/2024年から取締役会長を務める広瀬伸一氏。仕事で疲れたときには水の心地よさを味わいに泳ぐ。「カラダの疲れは心の疲れを取ってくれるんですよ」と教えてくれた。

取締役会長を務める広瀬伸一氏は、ジュニア選手たちを応援する理由についてそう語る。

さらに「誰もがやったことがある身近なスポーツで、トップアスリートたちが世界で活躍する姿を見ると元気が出るし、すごく力を与えてくれる」と、2015年からは日本代表チームのサポートも行っている。

「オリンピック選手に“ジュニアオリンピックの卒業生です”と言っていただけるのが、すごくうれしいですね」

また、競技レベルに関係なく、老若男女、選手から愛好家まで全員が水に親しみ、楽しめる日である「水泳の日」のサポートも行い、水泳界全体を支える活動に取り組んでいる。

水泳が日本の社会課題を解決!? 秘めたる可能性と役割とは

なぜこれほど幅広く水泳界を支え続けるのか。その理由を伺うと、水泳の魅力をもっと広めたいという、広瀬会長の大きな期待と熱意で溢れていた。

「水泳は理想的な全身運動で、浮力があるから年齢を重ねても続けられる生涯スポーツです。水泳には魅力が多いんですよ。

私たち日本国民が抱える社会課題のひとつが、実際の寿命と健康寿命の差といわれています。どうすればこの差をなくし、心身ともに健康で充実した人生を送れるようになるのか。

このウェルビーイングを目指す社会に対し、水泳は大きな役割を果たせるのではないか、と期待しています」

だからこそ東京海上日動は、これからも水泳を通じて、子どもたちを、大人たちを、社会を応援し続ける。

東京海上日動のスポーツへの取り組み
【1964年】東京1964オリンピック開催

東京において日本で初めてのオリンピックが開催された際、大会運営に関するさまざまな損害保険を引き受ける。

【1972年】札幌1972冬季オリンピック開催

札幌1972冬季オリンピックで、大会運営に関する損害保険を引き受ける。

【1989年】公益財団法人日本水泳連盟の支援を開始

「水泳を通し、健康なカラダ作りや青少年の健全な育成を応援したい」という思いから、支援を開始。

【1998年】長野1998冬季オリンピック開催

長野1998冬季オリンピックで、大会運営に関する損害保険を引き受ける。

【2015年】東京2020ゴールドパートナー契約(損害保険)を締結

「“安心・安全”の提供を通じて大会を盛り上げ、大会に関わる全ての人の挑戦を応援していきたい」という思いのもと、この先100年にわたる日本の確かな礎になると信じて、東京2020ゴールドパートナー契約(損害保険)※を締結。

水泳の日 第1回目のイベントを東京・辰巳国際水泳場で開催

水泳のさらなる発展や、あらゆる人に水泳に親しんでもらうことを目指す「水泳の日」イベントを、開始年の2015年より特別協賛企業としてサポート。

【2016年】公益財団法人日本パラスポーツ協会への支援を開始

一般社団法人日本障がい者サッカー連盟への支援を開始

リオデジャネイロ2016オリンピック・パラリンピック 開催

【2018年】平昌2018冬季オリンピック· パラリンピック 開催

リオデジャネイロ2016オリンピック・パラリンピックおよび平昌2018冬季オリンピック・パラリンピックでは、日本オリンピック委員会(JOC)・日本パラリンピック委員会(JPC)のゴールドパートナーとして、日本代表選手団を応援。

【2021年】東京2020オリンピック・ パラリンピック開催

東京2020・JOCゴールドパートナー(損害保険)として、日本代表選手団への応援だけでなく「損害保険商品やサービスの提供」「共生社会の実現に向けたスポーツを支援する取り組み」「大会へのボランティア派遣」など、安心・安全の運営をさまざまな方向から支援。

【2022年】TEAM JAPANゴールドパートナー(損害保険)として TEAM JAPANを応援
INFORMATION

東京海上日動の企業ロゴ

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コーポレートサイト:https://www.tokiomarine-nichido.co.jp/