文・三浦哲哉
職場で実施されたこの秋の健康診断の結果は、やはり極めて良好であった。
やばかった「血圧」「血糖」「脂質代謝」はほぼ完璧な値に戻った。体重は前回と比べて約5kg減。腹回りもタイトになった。むかし買ってもう腕が通らなくなっていたジャケットも着用可能になった。
どうしてこんな劇的改善が起きたかというと、理由は簡単で、健康診断に先立って、約三週間の入院生活を送り、その後もしばらく飲酒を禁じられていたからだ。
入院したのは足首を骨折したため。自分が大きなダメージを受けただけでなく、周囲にも多大な迷惑をかけた。深く反省している(飲酒中に子どもと遊び、軽率にも高所から大ジャンプをやってしまったのだ)。それでも、まったく悪いことだけではなかったとすれば、劇的なダイエットと、体の若返りが実現してしまったことだろう。ひょっとして寿命も伸びたかもしれない。
それからもう一つ、食に関する貴重な気づきが得られた。
病院食ってこんなにおいしかったんだ……というのがそれ。病院食=いまいち、という偏見は抱いていないつもりだったが、こんなにもおいしくて幸福な食べものだとは思ってもみなかった。
いまどきの病院はどこもレベルが高いのか、たまたま私の入院先が特に力を入れているのかはわからない。ごはん、汁もの、肉か魚の主菜、野菜の小鉢が一つか二つ、そしてデザートが付く。この主菜がいつもおいしい。感動したので持ち帰ってきた「献立表」を見返すと、こうある。「鶏肉の利休焼き」「鯖の香り揚げ」「ミートローフ」「白身魚のピカタ」「チャンチャン焼き」……。家ではここまでやれないよな、というような、それなりに手間のかかった正調の料理が、飽きのこないローテーションで出てくる。
なにより、控えめな味付けに、ほっと癒やされる思いがする。栄養バランスは完璧であろう、という絶対的な安心感がある。守られているという感覚が「おいしさ」と一致する。病院食オンリーの日々を送っていると、あまりに訴求力が強い「がっつり系」への欲求は抱かなくなるし、お酒もとくに恋しくはならなかった。
何に「守られている」と言って、外界の誘惑から自分が遮断され、守られていたのだ。
さて、問題は退院した後だ。しばらくは、病院食の日々の余韻の中、節制をつづけようとがんばってはいる。だが、外界の誘惑のなんと多いことか。ランチの選択肢で「がっつり系」を採らないのはなかなかに難しい。体重はいま微増傾向にあり、元の木阿弥となる予感が迫ってもきた。
どうすればいいのか。また怪我をするわけにもいかないから、ヴァーチャルに、「遮断」するための仕掛けがあればいいのかもしれない。あのクオリティの「病院食」の宅配サービスがもしあって、週何度かでいいので送ってもらえるなら、ペースメイキングのためにとても有効だろう。どこかに存在しないものか。
Profile
三浦哲哉
青山学院大学文学部比較芸術学科教授。映画批評や研究のほか食に関しての執筆活動も行う。著書に『サスペンス映画史』(みすず書房、2012)『映画とは何か――フランス映画思想史』(筑摩選書、2014)『『ハッピーアワー』論』(羽鳥書店、2018)『食べたくなる本』(みすず書房、2019)『LAフード・ダイアリー』(講談社、2021)『自炊者になるための26週』(朝日出版社、2023年)