「オリンピックは今しか目指せない」競技歴4年で日本一になったトライアスロン・北條巧の挑戦

続けてきた水泳では、オリンピックの夢は断たれた。そのとき、彼の前に突然現れたもうひとつの競技。トライアスリート・北條巧は、一度は折れた心を奮い立たせ、再度世界に挑戦する。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.759より全文掲載)

取材・文/鈴木一朗 撮影/藤尾真琴

(初出『Tarzan』No.759・2019年2月21日発売)

日本一になりたかったら、日本一の練習を。

北條巧は競技歴がたった4年である。2018年10月に開催された、日本トライアスロン選手権。この大会で優勝を果たしたのが、まだまだキャリアの浅い北條だった。

1995年から行われているこの大会は全国から屈指の強豪が多く集い、日本人最高のトライアスリートを決定するレースである。

ここには絶対的な王者がいた。それが“ミスターお台場”の異名を持つ、田山寛豪である。東京・お台場が会場であることから、この名がついたのだが、彼はなんと11度の勝利を飾っているのだ。最後に優勝した年は2017年で、そのとき北條は4位に入賞している。

北條は、大会後に語った田山の言葉が、今もしっかり耳に残っているという。

「田山さんは、“日本一になりたかったら、日本一の練習をすべきだし、世界一になりたかったら、世界一の練習をすべきだ”って言ったんです。その言葉を聞く前から、練習量を増やすことは意識していたのですが、もっと増やさなくては、日本一やらなくては、と思うようになりました。

週1回のオフ以外は、できるだけ3種目ともトレーニングするようにした。そして、運動強度を上げたり、練習量に注意しながら、誰にも真似できないような練習をやることを心がけていったんです」

その成果が、日本一に繫がった。レースではスイム(1.5km)で出遅れてしまい、バイク(40km)では、まず第2集団に入った。選手たちはバイクで集団を形成することで、互いに風よけになるなど、体力の消耗を抑えることができる。この第2集団は、やがて第1集団と一緒になる。そして、最後のラン(10km)で北條は最初から飛び出し、そのままゴールのテープを切ったのだ。

「優勝したときは、田山選手からバトンを受け継いだみたいな考えは全然ありませんでした。まだ若いですし、他にも強い選手はたくさんいますから。それでも、1年間、日本一練習をしてきたから、この結果になったんだ、とは思っていましたね」

それにしても…、ヒトはこれほど短期間で、成長できるものなのか。何度も言うが、北條がトライアスロンを始めて、まだ4年なのだ。

同期が表彰台に立った。自分は何をしているのか。

水泳が速ければ、トライアスロンで強い選手になれる。ひと昔前、この競技はこんな感じで考えられていた。

確かに、水泳は他の2種目とは大きく異なる。水の中での感覚というのは、普段の生活とはまるきり違う。子供の頃から慣れ親しんでいるほうが、ずっと有利なのは確かだ。

北條も幼稚園の頃から水泳を始めて、高校3年生まで続けた。しかし、なかなか成績を残せなかった。インターハイには出場したものの、その中ではまったく目立たない選手だった。

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「種目はバタフライだったのですが、北島康介さんに憧れて、オリンピック出場が夢でした。だけど、やっていくなかで、自分の成績ではどうしても無理だとわかった。だから、大学に進学したらもうひとつの好きだったスポーツ、サッカーをやろうって考えていたんです」

サッカーといっても、体育会系の部活動に参加するつもりはなかった。緩めの同好会に入って、楽しい大学生活を送ろう、と考えていたのだ。

そんなとき、両親がトライアスロン連合の主催する認定記録会があるという話を聞いてきた。スイム400mとラン5,000mのタイムを計測する。勧められて出てみると、なんとジュニアの強化指定の記録を突破してしまったのだ。

「自分でも、そんな結果になるとは思っていなかったので、不思議な感じでした。まぁ、子供の頃はマラソンや駅伝の大会があって、走ったら速いほうだった。

ただ、小学校のとき一度マラソン大会で負けて、悔しくて毎日走っていた思い出がある。ちゃんとしたトレーニングではなかったけど、そういう負けず嫌いの部分があったから、いい記録が出たんじゃないかと思っています」

そして、この記録を見た日本体育大学トライアスロン部のコーチが、一緒にやらないかと誘ってくれたのである。

オリンピックは今しか目指せない。

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しかし北條は、すぐに返事ができなかった。水泳での夢は潰えた。これからは、厳しさとは無縁の楽しい日常が待っているのである。

「もう一度本気でスポーツができるのかとも考えました。最初は、絶対に日体大に行かないぐらいに思っていましたから。

そんなとき、高校の先生が声をかけてくれたんです。“勉強はいつでもできるけど、オリンピックは今しか目指せない。可能性が少しでもあるならやってみれば”って。それで、これも巡り合わせなのかなと考えるようになって、入学することを決めたんですよ」

ただ、トライアスロンについては、まったくわかっていなかった。だから、スイムは自分で考えながら練習できたが、他の2種目ではコーチの言う通りの練習を淡々と続けた。

「とにかく、ランだったら練習でがむしゃらについていくだけです。バイクは本当にひどかった。練習でもずっと置いていかれるし、レースに出場してもスイムで先頭集団だったのに、バイクでついていけずに第3、第4集団まで落ちてしまう。それが大学2年生まで続いたんです」

バイクではギアの変え方、ブレーキのかけ方、車間距離の取り方がわからない。わからないことだらけ。結果、最初からフルパワー。疲れないほうがおかしい。筋力的には決して劣っていないのだが、技術がまったく追いついていなかった。

それが変わったのが、大学2年の夏に開催されたインカレ。この大会で北條は熱中症になって完走することもできなかった。散々な結果だ。

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「チームにも迷惑をかけてしまいましたが、得る部分は大きかったんです。同期の内田弦太選手や山本康貴選手が表彰台に上がっていて、それを見たときに“自分は何をしているんだろう”って思った。そこから、切り替えることができました。練習も自分から積極的にやって、外国人選手のトレーニング法も調べて、少しずつ学んでいった感じですね」

大学3年生のシーズン。北條は手応えを感じていた。自分が信じてきた練習によって、力がついてきたのである。日本選手権で4位に入ったことも大きかった。

しかし、一方では愕然とさせられることもあった。3年の終わりから、海外のレースにも出場するようになり、外国人選手たちと競う機会が増えていったのだ。

最低でも箱根駅伝に出る走力が求められる。

「バイクにしても、ランにしても、そもそもペースが違うんです。自分が出せるスピードでずっと行ってくれるならいいんですけど、それ以上のペースで走っているし、レースの中ではスピードの上げ下げもある。まったくついていけませんでした」

そのために必要となったのが、スピード練習である。持久力をつけるための練習は従来通りの時間しっかり行い、それにプラスして、何度も速いスピードで短い距離を走ったり、バイクを漕いだりするインターバルを取り入れるようにしたのだ。そして、これが北條のトライアスロンに、ピッタリとはまったのである。

「以前やっていた水泳では、だいたい200mで、2分ぐらいの競技時間なんです。だから、試合前は必ずオフの日を作って、カラダを回復させて試合に臨んでいた。ただ、トライアスロンは競技時間が2時間ほどあります。

持久力を競うので、僕の場合はまったく動かない日を作ってしまうと、逆にレースでのパフォーマンスが落ちてしまう。練習量を落とすだけで、レースへと繫いでいきたい。

だから、普段はスピード練習などを入れて量を増やし、試合前は持久系の練習だけにして調整していくのがいいんです。そうすると、すんなり試合に入っていける。今は1年のときにやっていた練習が、調整にちょうどいい量になっています」

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1年のときに先輩に必死に食らいついていった練習が、大会前の軽い調整になっていることだけでも、北條の実力が短期間でいかについたかは、わかってもらえるだろう。

それでも、依然として外国人選手との差は大きい。ひと昔前は水泳が速ければトライアスロンの選手になれると言われていたのは前述したが、今やバイクやランも圧倒的に速くなくては、世界で戦うことはできない。

「バイクのペースが違うので、脚に疲労が溜まって、ランをしっかり走れなくなってしまうんです。それに、ランのタイムも全然違う。僕が昨年の全日本選手権で32分02秒だったのですが、外国人には29分台の選手もいるんです。

スイム、バイクをやらずに純粋に10kmだけを走れば27分台の人もいるでしょう。箱根駅伝の花の2区を走ってトライアスロンに転身した大谷遼太郎選手がいます。彼がランだけを走れば28分台は出ると思いますが、それ以外の日本人選手では一人もいません。最低でも箱根駅伝を走れるような力がないと、世界で勝つことは難しいんですよね」

そのために必要なのは、バイク、ランのスペシャリストと一緒に練習することだと、北條は考えている。

「3年生のときに、箱根の選手が調整で出場するって聞いて、埼玉の上尾シティマラソンに僕も出たんです。走ってみて、こういうのがたまには必要だなと思いました。トップ選手が出るバイクのレースもあるので、利用したいと考えています」

現在、北條は22歳。20年の東京オリンピックはもちろん、次のパリにも期待が持てる選手だ。自身はどのように考えているのだろう。

「東京オリンピックではまだメダルは無理だと思います。それぐらい海外とは差がある。8位入賞が目標です。ただ、男女4人の選手がチームを作って行う混合リレーが正式種目になったので、それをがんばりたい。

本番はパリ。バイクはもっと技術を向上していけると思っているし、ランも力をつけていけるはず。練習を積み重ね、海外選手に勝ってメダルを狙いたいと考えています」