「フリーサーフィンの道を突めていきたい。それが自分の夢です」プロサーファー・村上舜

ワールドチャンピオンを狙い、オリンピック出場枠も手に入れた。新型コロナの影響で足踏みしているが、その先にもっと大きな夢を見て波に乗っている。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.794〈2020年8月27日発売号〉より全文掲載)

取材・文/鈴木一朗 撮影/藤尾真琴、THE SURF NEWS

初出『Tarzan』No.794・2020年8月27日発売

2か月の間、一切海に入らなかった。

小学校5年生、初めての海外旅行だった。泊まったのは平屋で半地下を持つ建物。その半地下の狭いスペースに2段ベッドが4つ。ここが、村上舜のサーフライフの拠点となった。ハワイなのに、とてつもなく寒い。眠るときは毛布をかぶっても震えるような寒さだった。

「冷房が効きすぎだし、部屋は狭いしで、僕の友達なんかも、あんなところには泊まりたくないって言うのが何人もいたんです。

でも、僕にしたら最高ですよ。場所はハワイのノースショア。建物の真ん前は、パイプラインという、サーファーなら誰しも憧れるポイントです。

といっても、あの波を乗れる人は、そう多くはないんですが。平屋の建物の隣には3階建てがあって、そっちには世界有数のサーファーたちが集まってくる。平屋のほうも1階は大会で成績を残したり、頭角を現してきた人が泊まる。1部屋に1人か2人です。で、僕らその他は半地下。成績を上げれば1階に、もっと上なら3階建てに行けると思いました」

プロサーファー・村上舜

パイプラインの大きくて、厚くて、力強い波は小学生の子供にとっては脅威だったろう。しかし、このときの経験をきっかけに、村上は世界で通用するサーファーに育ったのである。彼は昨年、宮崎で行われたワールドサーフィンゲームスに出場し、今や伝説のサーファーであるケリー・スレーターを破って4位入賞を果たした。

この大会は東京オリンピックの国ごとの出場枠を決める大会でもあり、普通なら出場しないような強豪選手を含め、55か国から240人が参加した。村上は格上選手を相手に堂々と戦い、決勝の4人に残る。その活躍によってサーフィン競技の日本選手の出場枠が2枠になった。

さらに今年の1月、QS(クオリファイシリーズ)5000で初優勝。サーフィンの最高峰の大会はチャンピオンシップツアーだが、毎年34人の出場枠が決まっていて、それに入るためにはポイントを稼がなくてはならない。QS5000はグレードで言えば2番目の大会で、村上はそこで大きなポイントを獲得したわけだ。「さぁ、これからだ!」と思ったに違いない。

しかし、新型コロナが来た。緊急事態宣言が出された後の、村上の行動はすばらしく潔かった。2か月の間、一切海に入らなかったのである。

「海にサーファーが大勢集まって、密になっているという話がよくニュースになっていたんです。駐車場を閉鎖してサーファーが密集しないようにした場所もあったみたいです。

自分が大好きなサーフィンが何か悪いことのように言われているのが悔しかった。何とかしようと思って、“僕らもサーフィンを自粛してるから、みんなも協力してほしい”って訴えたんです。

自分の知っているサーファーも自粛してましたよ。海に入れない間は、陸でサーキットトレーニングや走り込みをしました。だから体力的にはそれほど落ちていないと思いました。

2か月も海に行かないというのは、サーフィンをやりだしてから初めてだったのですが、体力面より感覚が狂って最初は調子が最悪でした。それでも何日かすると、元の感じが蘇ってきたけど」

愛するサーフィンが悪いイメージで世間に捉えられる。それが、村上にとって許せなかったのである。

プロとして背負う課題は波乗りだけじゃなかった。

地元である神奈川県の吉浜海岸で、小学2年生からサーフィンを続けている。“すごく上手な子がいる”とすぐ評判になり、小学5年生になるとスポンサーがつくようになった。初めてのノースショア行きも、そのスポンサーの勧めがあって実現した。

「冬は必ず行くようにって言われました。スポンサーの方々に、“世界で戦える選手になってほしい”という考えがあったようですね。

最初のうちは波に乗るよりも、見ていることのほうが多かった。半端じゃなくパワーがある波だし、底が岩だから失敗したら大怪我をすることもある。それでも上手くなりたかったし、怖がってばかりではダメだ、ここで、しっかり波に乗れるようにならなくてはと決意しました」

中学生になると、大人顔負けの実力を発揮するようになる。国内のアマチュア大会で数々のタイトルを獲得していった。そして、15歳のときに、世界で戦うことを決意する。

「ツアーの転戦が大変でした。航空機の手配もしなくちゃいけないし、今だったらレンタカーって手段もあるけど、15歳じゃ運転免許もないので現地での交通手段も考えなきゃいけない。

行き先も英語圏だけじゃないから、意思の疎通が難しい場合も多々あります。ごはんも土地によって千差万別。これだけはどこに行っても美味しく食べられたんで、よかったですけどね」

同じ年ぐらいの友達2~3人で、世界を巡った。「何か冒険しているみたいでワクワクしていた」と、村上は語るが、もちろん単純に楽しいだけではない。厳しさも味わった。

プロサーファー・村上舜

「旅費がすごいんです。一番安いチケット買って、安宿に泊まって節約しても、少なくない金が出ていく。世界を転戦する段階でもう、プロサーファーとしての活動だったので親のスネはかじりたくないし、バイトするのもプライドが許さなかった。スポンサーの支援と、大会の賞金でどうにかやっていたわけなんですが、節約と雑務で試合に集中するのが難しい。

どうにか旅費を作って、例えばフランスまで遠征しても、1回戦で敗退してしまうと何も得るものがない。ブラジルまで遠征して2回戦敗退したときなんかメンタル的にも追い詰められましたね」

村上には揺るぎない自信があった。それは、誰よりも自分は波乗りが上手いということ。サーフィンの試合は決められた時間(たとえば25分)の中で、波を捉えて技を決め、得点を重ねていく。勝つためには、技の良し悪しだけではなく、いかに効率よく時間を使うかという戦略が大きくものをいう。

しかし、サーフィン本来のあり方は、時間制限なく自由に波に乗るフリーサーフィンである。村上はフリーサーフィンなら誰にも負けないと思っていた。大会でも、一瞬で見せる技であれば、世界の強豪にまったく引けを取らないのだ。「その自信がなかったら、海外遠征はずっと前にやめてしまったでしょうね」と言う。

「子供の頃から、CT(チャンピオンシップツアー)に入ってワールドチャンピオンを獲るっていうのが目標でした。今年はすごくいいスタートができたので喜んでいたのですが、コロナであらゆるツアーが中止になってしまい、すっかり足踏み状態です。再開したら、またワールドチャンピオンを狙っていきたいです」

旅で大きな波を見つけ、上手く乗ってみたい。

村上は今の自分の実力を「CTには出場できるけど、そこで優勝はできない」程度だと考えている。と同時に、まだまだ伸びしろがあるとも思っている。世界の超一流と肩を並べるには、何が足りないのだろう。

「ひとつには試合の運び方ですね。常にマシンのように計算して、得点を得ていくことが大切。僕は瞬間的に大きな技を出せるけれど、継続していくことが、まだできていない。それから、CTに出場するような選手は、もちろんケリー・スレーターもですけど、簡単にやっているように見せて、すごく難しいことをやっている。それは、自分の中に余裕があるからできることなんです。

僕にはまだそこまでの余裕はない。技と技の繫ぎ目の安定性だったり、間の取り方だったり。やっぱり、CT選手は一味違うので、まだまだ彼らから学ぶことが多いと思っています」

ただ、ワールドチャンピオンになることは、村上の最終目標ではない。むしろ、“試合”という形式に疑問を感じているようなところもある。

プロサーファー・村上舜
村上舜(むらかみ・しゅん)/1997年生まれ。167cm、64kg、体脂肪率10%。2011年にNSAオールジャパンサーフィングランドチャンピオンゲームスのメンズオープンクラスで優勝。18年、19年とワールドサーフィンゲームスで4位。20年、WSLクオリファイシリーズの初戦『QS5,000 Corona Open China』で優勝した。

「コンペティター(競技者)としてまず成功しなくてはならないことは十分にわかっています。が、サーフィンって本当は順位がつけられるものじゃないし、見ている人がサーフィンの醍醐味も感じないのに順位だけで判断してしまうのもイヤなんです。だから、今年か来年にはしっかり結果を残して、大会からは退こうかと考えています」

村上の夢は別のところにある。それが、フリーサーフィンであり、サーフトリップなのだ。遥か昔、サーフィンの先人たちが、いい波を求めて世界中を辿った道を、自分も歩んでみたいと思っているのである。

「チャンピオンとかオリンピックの金メダルって、僕にとってはそれほど大きいことではないんです。ただ、来年には東京オリンピックがあって、そこで活躍できれば、サーフィンをもっとメジャーにできるいい機会とは思っているのですが。

それよりも、やっぱりフリーサーフィンです。世界にはまだ知られていないポイントが数多くありますし、日本にもデカい波が立つ場所はいっぱいある。旅をして、誰も知らない大きな波を探して乗る。サーフィンの純粋な楽しさって、本当はこれなんだって思っています。

実際にやっている人も多いんですよ。危険な波に挑んで、写真や映像に作品として残す。プロとして生計も立てられる。サーフィンを始めてすぐに、これで食っていくと決めていたので、一生を捧げていきたい。

目の前にチューブ(波が作り出すトンネル)ができていたりすると、今でもワクワクしますから、その気持ちを持ち続けて好きなサーフィンをしていきたいです」