「50mサーフィスの世界記録は抜きます」フィンスイミング・上野浩暉

大型のフィンを1枚、足につけて泳ぐモノフィン。初めは足枷のようにしか感じなかったが、今は違う。日本記録は何個も持っているから、次は世界新だ!(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.802〈2021年1月4日発売号〉より全文掲載)

取材・文/鈴木一朗 撮影/藤尾真琴

初出『Tarzan』No.802・2020年1月4日発売

インストラクターの“裏の顔”。

千葉県にあるスポーツクラブ〈ルネサンス浦安24〉。その壁にはインストラクター紹介用のパネルがある。その中に笑顔の青年の顔写真と、簡単なプロフィールが掲げてあるのを目にした。

スタッフ名:上野、セクション:スイミング、出身:東京、好きなスポーツ:フィンスイミング。

上野浩暉はこのスポーツクラブで働き始めた、新人のインストラクターである。これが“表の顔”だとすれば、案外クラブの会員に知られていない“裏の顔”は日本一のアスリートだ。

上野に日本記録をいくつ持ってるか尋ねると「うーん。正確にはちょっと。10ぐらいですかね」と、にこやかな顔で答える。そう、彼は“好きなスポーツ、フィンスイミング”の日本における第一人者なのである。そりゃ、好きだろう。

上野浩暉(うえの・こうき)

フィンスイミング競技には、モノフィンと呼ばれる1枚の大型フィンを使って行われるモノフィン種目と、2枚のフィンで行われるビーフィン種目がある。上野はモノフィン種目の選手。

さらに細分化されるのだが、これまで彼が主戦場にしてきたのはセンターシュノーケルを使って水面を泳ぐサーフィスと、水中を息継ぎなしで泳ぐアプニアという種目である。それぞれの種目は、競泳と同じように、50m、100m、200mといった距離別にスピードを競う。そして今、上野は50mサーフィスを得意とする選手として活動している。

自由形の1.5倍以上のスピード。

「モノフィンの魅力はスピードです。人力で水中をあれほど速く移動する方法はない。僕も初めて見たときは感動しました。それと、ぜひ実際にやってみてほしいのですが、楽しいんです。本当に水の中を自由自在に動くことができるんですよ」

速い、というのは確かにその通りだ。上野が持つ50mサーフィスの日本記録は15秒64だが、競泳種目で一番速い自由形50mの世界記録は20秒91だ。

「同一人物で1.5倍以上のスピードが出るといわれています」と、スピードの魅力に上野は目を輝かせる。彼の練習は主にスポーツクラブの25mプールで行われる。泳ぎを見せてもらうと、その迫力に思わず笑いが漏れてしまった。

プールの壁をボンッと蹴って飛び出すと、まるで漫画の効果音のような「バババババッ」という音が聞こえる。瞬間、プールに大きな水しぶきが舞い、反対側の壁にタッチしていた。時間にして8秒ほどか。まったく、信じられない速さ!

ところでこの日、上野が練習で使ったモノフィンは2枚。試合では大きさや厚さが決められているが、触らせてもらうと、その硬さに驚く。カーボン素材だというが、実にカッチカチ。両手を使って曲げようとしても、言うことを聞かない。

上野浩暉(うえの・こうき)

「1枚は50m用のフィンで、もう1枚は100m用です。50m用のフィンのほうが硬いんです。距離が短いので一貫して全力を出す。硬いほうがパワーを伝えやすいんですね。対して100mは少しだけ柔らかい。全力だと終盤落ちますから、柔らかくすることで持久力が発揮できるように作られているんですよ」

理路整然と説明してくれるのだが、上野の練習を観察していると疑問が湧いてきた。フィンをつけて5分ほど泳ぐと、足から外してプールサイドで少しの休憩(2、3分か)をとる。そして、またフィンをつけて泳ぎ始める。着脱が大変なのでは?

上野浩暉(うえの・こうき)

「足を入れる部分をブーツというんですが、水から受ける負荷が大きいので真空状態みたいになって、足を締め付けるんです。そうでないと脱げるんですが、5分ぐらい履いてるとすごく痛くなる。定期的に脱がないと続けられないんです」

いや、実に大変な競技である。

初めはフィンが“ジャマ”だった。

フィンスイミングを始めたのは大学1年のとき。小学生からバタフライの選手で、中学は立教へ進学する。理由は「中高一貫だったので、受験に煩わされずに水泳に集中できる」からだった。全国中学校水泳競技大会にも、インターハイにも出場した。だが、全国で30~40位と振るわない。

故障もあった。大学に進学後、競泳を続けるか悩んだ末に、今まで所属した中・高校の水泳部のコーチを務めることに決めた。恩返しのつもりだった。このとき、つまり選手である重圧から解き放たれたとき、ある光景が頭に浮かんだ。

「毎年開催されている競泳の某大会に、中高の部活で出場していたんです。その大会ではフィンスイミングの競技も行われていて、確か中2のときでしたが、酒井(秀彰)さんがアプニアで日本新記録を出した。それを見て、すごく面白そうだと思ったんですね。脳裏に蘇ってきて、何か新しいこともやってみたかったので始めようと思ったわけです」

元バタフライ選手である。フィンをつけたキックは、お手のものだと思っていた。ところが、やってみたら勝手がまるで違った。

上野浩暉(うえの・こうき)
上野浩暉(うえの・こうき)
上野浩暉(うえの・こうき)

「足に重りがついているようにしか感じられないんです。もう、邪魔以外の何物でもない。速く泳ぐ道具とは思えなくて、50mをやっと1分かけて泳げたって感じでした」

それが大学1年の5月の出来事。「こりゃ、無理だ」と諦めた。しかし翌年の1月、あるスポーツクラブでフィンスイミングの教室が開かれているのを知る。これが転機だった。

「最初から教えてくれるんじゃないかと思って通ったらフィンが使えるようになった。基本は大事です」

そこから急成長だ。始めて4か月後の大学2年の5月、日本選手権の決勝に残る。翌年にはメダルを獲得する。そして、大学4年で全日本初優勝を飾ってしまうのである。

「僕の身体的な特徴として胸郭の柔軟性が高いんです。ここが柔らかいと、体幹から下半身をダイナミックに動かせる。最初にフィンスイミングが無理だと感じたのは、脚だけで泳いだから。胸郭をうまく使うことで、順位も記録も伸びました」

自粛期間に、楽しさを再発見した。

一昨年、上野はアジア選手権の50mサーフィスで初優勝を果たす。さぁ、これからというときに新型コロナが襲った。3月にプールが使用できなくなり、5月の日本選手権も7月の世界選手権も中止になった。

ただ、悪いことばかりではない。5~6月は練習もトレーニングもほぼできない状態だったが、7月に練習を再開したとき心境が変わっていた。

「もともとはフィンで泳ぐのが楽しくてやっていたのに、いつの間にか大会に出場することが目標になっていたことに気づきました。でも休んだおかげで、もう一度初心に帰って、好きだからやる心境になれた。練習もトレーニングも、これまで以上に楽しんで、そして考えながら取り組めるようになってきました」

もちろん競技としてのフィンスイミングは極めていきたい。現在の50mサーフィスの世界記録は15秒00。上野は自信を持って「抜けますよ」と、当たり前のように言う。彼が世界の頂点に立つ日はそう遠くないのかもしれない。

上野浩暉(うえの・こうき)

「僕の中での目標は、まず第一に世界選手権の50mサーフィス競技で優勝することです。フィンスイミングにはもうひとつ主要な大会、ワールドゲームズ(オリンピック競技以外を集めた世界最高峰の大会)があって、こちらのほうが世間的には注目されるのですが、僕としては競技の世界の中で評価されたい。そのためには世界選手権で優勝することが何よりも重要だと考えています」

新人インストラクターは、このような思いで日々の勤務と練習を両立させているのである。

「勤務しているルネサンス浦安24で日々スイムと週3回のウェイトトレーニングを行っています。いい環境を与えてもらっていますね。フィンスイミングは実際マイナースポーツですが、自分からマイナーとは言いたくない。そういう意味で、フィンスイミングの選手だということを誇りに思えるような力をつけたい。そして後輩たちがそれに続いてくれれば、もっと日本にもこの競技が広がっていくと思っています」