相澤隼人(ボディビル)「ゴールに辿り着けずに、死んでいくのがいいと思う」

中学校1年から始めたウェイトトレーニング。それが、相澤隼人の人生を決める大きな指針となった。果てなき渇望のため、彼はストイックな日々を生きる。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.823〈2021年11月25日発売号〉より全文掲載)

取材・文/鈴木一朗 撮影/藤尾真琴 撮影協力/ゴールドジム 町田東京

初出『Tarzan』No.823・2021年11月25日発売

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相澤隼人(あいざわ・はやと)/1999年生まれ。全国高校生ボディビル選手権で3連覇。日本ジュニアボディビル選手権は、高校1年時に8位、2年時に5位、3年時に優勝する。世界ジュニアは5位。2019年、東京ボディビル選手権優勝。2021年、日本クラス別ボディビル選手権80㎏級、日本ボディビル選手権優勝。日本体育大学バーベルクラブ所属。

自分のカラダには納得していません

2021年10月10日に開催された男子日本ボディビル選手権で優勝を飾ったのが相澤隼人である。21歳での優勝は63年ぶりの快挙であった。2019年、同大会に優勝を目指し出場した彼は、苦い涙を飲んだ。今回はリベンジの意味もあったかもしれない。

優勝を決めたときの弾ける笑顔は印象的だったし、うれしそうにインタビューに答えている姿は潑剌としていた。そんな場面を見ながら、この優勝は相澤にとって満足な結果なのだろうと思っていたが、いざ話を聞くと意外な答えが返ってきた。

相澤隼人

「結果としては一番だったのですが、自分のカラダには納得していませんでしたね。結果と理想というのは別物なので、仮に結果が悪くても理想のカラダに近づけていれば満足しますし、結果がよくても満足し切れないこともある。自分の中では、今回は筋量を増やすというのがテーマでそれはできたし、ボディビルを楽しむこともできた。

ただ、純粋にカラダはまだまだと思っているので、結果は頂いたんですが、自分自身には満足できてはいない。これから2022年に向けて再スタートですね」

相澤が優勝を逃した2019年の日本選手権大会のあと、新型コロナが世界を襲い、2020年はこの大会が中止となった。そのため、トレーニングに明け暮れる毎日を送ったのだが(緊急事態宣言下ではそれも難しかったろうが)、実はこれが彼に幸いした。

「正直、コンテストコンディションまでカラダを絞ると、筋量は少し落ちるんです。2020年、大会があるということで減量を始めて8月ぐらいまで続けていたのですが、その時点で中止が決まった。それで、減量するのをやめたんです。そのときはまだ筋量は落ちていなかったから、その後増やすことができたんです」

減量半ばにして、大会が中止になり、筋量を増やすことに集中できる生活に戻れたというわけだ。そして、これが結果へと繫がっていく。

「2019年には体重が71kgだったのですが、2021年には75.5kgにまで増えました。コンテストに向けては、体重を数百グラム単位まで落としていく。ベテランの人は絞ると皮膚がサランラップみたいに筋肉に張り付いている感じなんです。体質もありますし、皮膚に含まれるコラーゲンの問題とかもあって、若いうちはそれを作ろうとすると、絶対に過度な減量が必要で、筋肉は減ってしまうんです」

代謝がよい若者のカラダは回復力、再生力も高いのであろう。食事を制限してもなかなかサランラップのような皮膚にはなれないのである。

「実際、自分はそこまで絞れてはいないです。だけど、ハムストリングス(太腿裏の筋肉)が大きいので、それに合わせて絞ると、どうしても上半身の筋肉が小さくなってしまう。自分の理想に近づくのがボディビルディングなのに、コンテストのために過度な減量をして筋肉を失うことになる。

何が目的なのかわからなくなっては本末転倒なのです。だから、自分ではあまり過度な減量はしないようにしたいと思っています。これは、これまでの多くの経験からわかってきたことなんですけど」

肉体を作り、そして削る。競技者は、大きな矛盾を抱えて生きている。

動かせなくなるまでやるのが当たり前

相澤は柔道一家に育ち、中学では神奈川県の新人戦で優勝、高校ではインターハイの予選で3位というまずまずの成績を残している。そして、それに並行して中学校1年から始めたのがウェイトトレーニングだった。

「筋トレをすれば筋肉がつくというのは当時からわかっていました。やってみるとゲーム感覚で達成感がある。とくに重量が伸びるのが楽しかった。最初のうちはすぐにどんどん重いウェイトが挙げられるようになるからうれしかったですね。

まずはジムにあるマシンを全部やっていました。ダンベルなんかは家にあったけど、マシンって新しい感じがして格好いいと思っていたんですね」

相澤隼人

すぐに、フリーウェイトにも取り組むようになる。相澤がスゴイのは、感覚的にトレーニングの原理・原則をはっきり理解していたことである。誰に教わったのでもないのに、だ。

「動かせなくなるまでやるというのが当たり前だと思っていました。ずっと柔道をやっていて、あれは練習で心拍数がすぐ上がりますし、根性論を語られることも多々あった。そして、それだけのことを成し遂げるから強くなれるという考えだった。だから、徹底的にやらなければ筋肉はつかないと思っていました。昔から、根性だけはありましたからね」

成長期だったから、身長も伸びた。体重も年々増加して、柔道の階級も中学校1年では50kg級だったのが、3年になると60kg級に。しかも、このときは3kgほど減量していた。

「でも、初めから柔道は柔道、ボディビルはボディビルと捉えていました。柔道のためにウェイトトレーニングをしていたわけじゃないんです。ただ、筋肉がつくと柔道に生きることもありました。相四つ(柔道の組み手のひとつ)になったとき、カラダを引けば簡単に相手の組み手を外すことができた。

その代わり、燃費が悪くなったというか、スタミナは落ちた感じはしていました。すぐに筋肉がパンパンに張るんです(笑)」

柔道での活躍はまずまずだったが、ボディビルでは目覚ましい成績を残す。全国高校生ボディビル選手権で1年時から3連覇。そして、相澤は高校卒業後にはボディビル一本で勝負することを決意したのだ。

理想を求めた結果が優勝ならばうれしい

さて、現在の相澤である。下記の練習メニューを見ていただくとわかるが、毎日2時間、ひとつの部位に狙いを絞ってのトレーニングである。

練習メニュー

日曜日を休日として、週6日の部位別トレーニング。たとえば月曜が胸なら、火曜が背中、水曜が肩、木曜が腕、金曜が脚となる。そして、土曜日がまた胸に戻り、日曜は休日、翌月曜日が背中といった具合。取材した日は、腕のトレーニング日で、上腕二頭筋で2種目、上腕三頭筋が5種目(うち2種目が加圧トレーニング)のメニューだった。トレーニング時間はほぼ2時間といったところ。

来る日も来る日も、自分を極限まで痛めつけるのだ。実際に見たのだが、筋肉には血管がビッシリと浮かび、唸り声とともに最後の1回を持てる力を振り絞り、上げる。並大抵なことではない。

ただ、それほどまでストイックでなくてはカラダを作れない。筋肉はそう簡単にはつかないのだ。そういう意味では彼の肉体は、彼の内なる激しさを、見事に表現した芸術作品ともいえるのである。

相澤隼人

「今日は腕のトレーニングで7種類の種目を行いました。自分は上腕三頭筋が弱いので、これだけは加圧(器具を腕に巻き、血流を阻害させてトレーニングすることで、その効果をさらに高める)もやっています。ひとつの部位でいくつも種目を行うのは、その筋肉のどこに効かせるかが変わってくるから。ひとつひとつの動作の意味を考えて組み立てていけば、足りない部分へのアプローチの仕方がすぐにわかる。

高校時代の柔道でも、たとえば自分たちでスタミナが足りないからこういう練習を入れようというのならいいのですが、先生に言われたことをただやっているだけでは練習の質は必ず落ちる。だから、今のトレーニングでも、どのポジションでやればどう効くのかを知っていることが重要なんです」

とりあえず相澤は日本で頂点に立った。

新型コロナの影響で世界選手権に出場することは叶わなかったが、この先世界一の称号を手に入れる可能性はもちろんある。今、彼の思いはどこへ向かっているのか。

「日本選手権は自分の憧れの舞台だったのでまた出場したいです。ただ、連覇というのはあまり考えていない。自分の理想を求めた結果、それに繫がったらうれしいですが。とにかく基本は、自分が考えた理想を追い求めていくこと。それだけです」

次々と新しい理想が出てくるから、これは一生終わらない。理想を求めてトレーニングをして優勝はしたが、やっている間に新たな課題が多く出てきた。その繰り返しがボディビルだと思っているし、自分に一番合っているから楽しいのだ。

「ゴールがあると、それを達成したときに、その先を失ってしまうでしょ。大会に出場するかしないかは別にして、トレーニングは好きなのでずっと続けていくつもりです。果てないゴールをひたすら追っていって、そのゴールに辿り着けないで死んでいくのがいいと思っているんです」