女子初のSG制覇。遠藤エミ、ボートレーサーとしての軌跡
69年間、誰も成し得なかった偉業を、2022年の早春に見事に達成して注目を浴びた。彼女はさらなる高みに向かってレースに挑む。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.837〈2022年7月7日発売号〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/中西祐介
初出『Tarzan』No.837・2022年7月7日発売
ボートレースクラシックで女子初の優勝
ボートレース界にその名を残す快挙を、今年成し遂げたのが遠藤エミだ。ボートレースの最高峰であるSG(スペシャルグレード)競走の、ボートレースクラシックで女子初の優勝を飾ったのである。
これがどれぐらいのことかと言えば、藤田菜七子騎手が有馬記念で勝つと言っても、これもまたわかりにくいだろうか?
SG競走は1953年の第1回全日本選手権から始まり、現在は年間に8競走が行われている。ボートレーサーは今年3月末時点で全1608人で、女子は244人。男女含めた全レーサーのトップから52人までがSG競走に出場できる。
これまで、女子は過去2回計3回優勝戦に出場したことがあるが、69年間どうしても届かなかった栄冠だった。
だが、本人に感想を聞くと、「周りがおめでとうと言ってくれて、メールもたくさんもらいました。感謝していますが、実はあんまり自分ではわかっていないところがある。すごいことだとは思っているんですが」と笑顔でサラリと答える。
マスコミが大騒ぎするなか(ターザンもそのひとつだ)、いろんな事柄を冷静に対処している、彼女の強さが窺える一言である。ただ、レース本番は冷静とはいかなかったようだ。
「レース前はこのチャンスをしっかりつかもうという、強い気持ちでいました。でも、ずっとこれまでにない変な感じで。他のレースとは、やっぱり違ったんでしょうかね。ちょっとしたミスで女子初というのが手に入るかもしれないし、逃すかもしれない。緊張感でなんかカラダも動いていなかったような気がします」
ボートレースでは300mの距離を隔てて、2つのターンマーク(スタンドから競走水面に向かって右側が第1ターンマーク、左側が第2ターンマーク)が置かれ、それを3周することで勝負を決する。
6コース、6艇で競われるが、ボートレースクラシックの決勝で遠藤は一番インコースの1号艇だった。
一般的には、レースではこの艇が一番有利だとされている。しかし、遠藤はこれを運でつかんだわけではない。準優勝戦で、男子を抑えて1位になって手に入れることができたポジションなのである。スタートはかなりうまく切れた。ところが…。
「1マークでミスしてしまって、これは差されるかもって思ったんですが、誰もいなくてホッとしました。(1周目)2マークのターンでは、もしかしたら勝てるかな、という感じになった。そして、2周目からは緊張もなくなったし、何も考えることなくレースに集中できたんです」
ゴールした瞬間に、遠藤はボートに沈むように、深く頭を垂れた。それは彼女なりの喜びの表現だったろうし、応援してくれたファンへの感謝の気持ちでもあったのだろう。
キラキラ光って見えて、私もなりたいと思った
高校卒業後、姉のゆみさんに誘われてボートレーサーを目指すようになる。
ちなみに2人は2010年に姉妹レーサーとしてデビューを果たす(ゆみさんは19年引退)。ただ、誘われたときはボートレースのことを何も知らなかった。そこで、地元・滋賀県のボートレースびわこへ、まずは見に行ってみることにした。
「凄い音とスピード感でした。圧倒されましたね。キラキラ光って見えて、本当に惹かれたんです。私もレーサーになりたいって思いました」
ボートレーサーになるには、ボートレーサー養成所に入所しなくてはならない。試験を受けるのだが、倍率20~30倍の狭き門だ。遠藤は2回目でクリアする。
ただ、そこからも大変。1年間訓練を受けなくてはならない。時間と規則に縛られる生活である。とにかく厳しいことで有名な養成所だが、遠藤にとってはそれほどでもなかったらしい。
「朝は6時起床なのですが、起きてすぐに行動するのが、なかなか大変でした。でも、それ以外は別に苦ではなかったです。それより、ボートに乗っていて楽しかった。もちろん、最初はターンなんてできなくて直線でしたが、最初からスピードは出していて、恐怖心もありましたが、面白さが上回っていましたね」
ボートレーサーになるためにはボートを操縦できるだけではいけない。エンジンの整備やプロペラの調整も自分でやらなくてはならないのだ。つまり、メカニックも兼ねることになる。全てを一人でこなすのだ。機械が苦手という人もいるだろうが、これも遠藤には面白かった。
「小学生のころにミニ四駆を作ったり、ハンダを使ってロボットを組み立てたりしていたんです。だから、エンジンなんかにも興味はあったし、整備とかの作業も好きなんですよ」
多くのレーサーのように、耐え続けた養成所時代ではなかった。しかし、成績は残せなかった。残念ながら下から3番目である。それが、今はボートレースを代表する一人となった。
どれほどの努力をしたのであろう。ひとつよかったのは、滋賀支部に所属できたことかもしれない。前述したボートレースびわこが、彼女のホームとなったのだ。
「支部によって、練習できる時間が決まっているんです。私が入ったときには琵琶湖ではすごくたくさん、3時間とか乗れたんです。その時間をフルに使っていた。そのときに、こんな(レース)展開にしたいとか、考えながらやるようにしていた。ただ乗っているだけじゃ、多分上手くはなれないと思っていたんですね」
2008年5月にデビュー、9月には初勝利を挙げる。それから14年をかけて一つの頂点へと辿り着いたのだ。
ボートをコントロールするには体幹の力やバランス感覚が必要
ボートレースでは、男女がまったく同じ条件でレースが行われる。そして、女性がなかなか勝てないのは、やはり身体能力の違いだと遠藤は言う。
たとえばターン。多くのレーサーはモンキーターンという旋回を行う。前傾して深く膝を曲げ、足の爪先だけをボートの底につけてカラダを支え、ターンマークを回る。最高時速は80km、強い遠心力がかかる。
「波があったりして、とても不安定なんです。ボートをコントロールするためには、体幹の力が必要だしバランス感覚に優れていないといけない。ボートの乗り方は、やっぱり男の人の方がすごいなと思いますね」
ただ、遠藤はトレーニングを一切していない。乗るための力は、乗ることでしか作れないと考えているからだ。だが、過去にはウェイトトレーニングも行っていた。それは、力を養うためではなく最低体重制限があるため。女子は47kg。彼女はなかなかその重量に届かなかった。
練習メニュー
取材した日はレース当日。レーサーはレース場のピットと呼ばれる場所でモーターを整備したり、プロペラを調整して準備を整えていく。レースの合間には試運転を行い、さらに細かく仕上げる。レースは初日から優勝戦まで4~7日で、終わると次のレース場へと移動していく。スケジュールはかなりタイトだ。
「筋肉で1〜2kg増やせばラクになるかなって思って。でも、1年間やっても500gぐらいしか増えなかった。だから、本当はあんまり食べたくないんですが、頑張って朝とかはしっかり摂るようにしています」
ボートレースは長く競技を続けることができる。70歳を過ぎても現役というレーサーもいるのだ。生涯この道一筋といった人生を歩むことも、大変だろうが可能ではある。遠藤は自分の道をどう進んでいくのか。
「体力面も大事ですが、気持ちが一番だと思っているんです。上手くなりたいとか、もっと高い場所を目指したいとか、そういう気持ちがなくなったらやめるんでしょうね。
ただ、それは他のレーサーと比べるのではなく、自分自身に対して求めていることです。今は常に活躍できるようになりたい。自分はまだまだそこには達していないと思っています。あのとき(ボートレースクラシック)は、たまたま流れとか、運とかが重なった結果です。だから、とにかく強いレーサーになりたいんです、本当に!」