“たった1日”のための練習の日々。ウェイトリフティング・鈴木梨羅
2021年の世界選手権、夢の舞台で銀メダルを獲った。次の大きな目標は2年後に迫ったパリ・オリンピック。さらなる力を蓄えるために鈴木梨羅は日々高重量と闘う。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.843〈2022年10月6日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/藤尾真琴
初出『Tarzan』No.843・2022年10月6日発売
目次
まったく同じ動作に見える。滑らかで美しい
シャフトは15kg、左右にプレートが通され、バーベルの全重量は70kg。
グリップの位置を確かめ、握る。スクワットの状態から、踵を浮かすまでカラダ全体で伸び上がる。バーベルが重力から解放されたようにスッと浮き上がる。この瞬間に腰を沈ませて、すばやい動作でシャフトの下へと潜り込み、両腕を伸ばしてバーベルを支え、立ち上がる。
146cm、49kgの小さなカラダのどこにそんなパワーがあるのか、驚かされる。数分の休憩を挟み、また同じ動作を行う。傍から見ていると、一回一回が数mmの違いもない、まったく同じ動作に見える。滑らかで美しい。
「自分に合うフォームって正解はないのですが、選手としてはずっと追求していくものだと思っています。トレーニングをしていて、ケガしてしまうときは多分、自分に合っていない動作をしてしまったか、どこか弱い部分があって、それを他の部分で補おうとしたから。だから、常に全身のバランスを整えて、トレーニングを続けていくのが大切です」
世界選手権でのメダルは自信になった
鈴木梨羅はウェイトリフティング49kg級の選手である。この階級は、これまで三宅宏実が第一人者として牽引してきた。この競技が日本に広く浸透したのも、三宅の功績といっていい。
しかし、彼女は昨年の東京オリンピックで引退。その後を継ぎつつあるのが鈴木だ。昨年の世界選手権で銀メダルを獲得し、今年の全日本選手権では優勝を果たす。世界選手権を彼女はこう振り返った。
「出場したのは初めてで、ずっと出たかった夢の舞台でした。自分は6本(スナッチとクリーン&ジャークの2種目で各3本試技を行い、重量を競う)のうち、2本しか挙げられなくて、最初は悔しい思いが大きかった。でも、メダルを獲ったことで、周りの方が想像以上に喜んでくれたんです。それで実感が湧きました。
昨年の世界選手権はオリンピックが開催された年だったので、それほどレベルは高くなかったんです。ただ、メダルを獲れたことが自信になったので、今は次の世界選手権やオリンピックに向かっていきたいです」
高校で出会ったウェイトリフティング
運動するのは好きだったが、自分に合う競技がなかなか見つからなかった。剣道は2段だが小さなカラダは不利だ。高校に入学して出合ったのがウェイトリフティング。階級制である。これだ!と思った。
「女の子が始めにくい競技だから、すごく歓迎してもらえて。それに、“高校で始める子が多いから、全国も目指せるよ”と言われて、やろうと思いましたね。そのとき、初めてシャフトを持ったのですが、15kgをどうにか自分の力だけで頭上に挙げることができたんです。新入生のなかでできた子はそんなにいなくて、それが自信にもなったんですね」
千葉県立松戸国際高校で彼女は練習に励んだ。そして、あるときリオデジャネイロ・オリンピックに出場した一人の選手が訪ねてきた。全日本6冠にも輝いた松本潮霞さんだ。彼女はオリンピック出場を果たし、母校に挨拶に来たのである。
「オリンピック選手に会ったのが初めてだったので、ウァーッってなりました」と、鈴木は笑う。
このとき松本さんも、鈴木の才能に気づく。スクワット動作が滑らかで理にかなっていたのだ。すぐに動画を撮り、彼女が在籍していた早稲田大学ウェイトリフティング部の監督に送った。「凄いですよ」なんて具合に。ちなみに松本さんは現在、〈ALSOK〉の広報部で鈴木をサポートする仕事も請け負っている。
「それも早稲田に進むきっかけのひとつでした。それに、この大学には2学年先輩に安嶋千晶さんがいました。国体で優勝もしているんですが、ずっと憧れていたんですよ」
高校生のころから自分で考えることを学んだ
「高校で学んだことは大きかった」と、鈴木は言う。
普通、高校では与えられた練習を淡々とこなすことが多い。どの競技の一流の選手でも、高校までは言われるままにやっていたという人が大半。自主性が求められるのは、大学や社会人になってからだ。ただ、鈴木の場合は違った。
「自分で考えさせられる場面がありました。弱点や強みは何かとか、試合がない時期にどうしてこういう練習をするのかなど、意味を説明してもらいながら、自分自身で考えることを教えてもらった。早い時期に自分と向き合いながらやることを覚えられたのは、よかったと思います」
この学びが生きた。大学に入ると、メニューが細かくなり、それを理解して取り組むことを求められるようになったのだ。挙上のフォームでもその局面、局面で分けて、ひとつひとつの動きの意味や、効率よく動くためにはどうすればよいかを、考えなければならなくなった。
「こんな細かいんだと思いました。高校ではスナッチやジャークをやって、それにスクワットなどの筋トレといった感じでしたから。大学に入ると、(カラダが)伸びるだけの場所だったり、膝の動きだったり、膝から下だけの動作だったりと分けて練習する。これはすごく大切なんですが、だから難しくもありました」
ウェイトリフティングは究極の無酸素運動である。一回一回、ほぼ全力で行うから、何度も繰り返すような練習はできない。休みを入れながら、少ない回数で技術や力の向上を狙っていく。しかも、自己ベストを更新するためには、それ以上の重量で練習することが不可欠となる。
「簡単に言えば、クリーン&ジャークで(しゃがみ込んで)立つまでの動作はスクワット。そのスクワットを自分のベストの重量より何kgも重いモノでやります。スクワットだけでなく、デッドリフトとプレス(腕を押し上げる動作)。この3つを高重量でやっていって、最終的に全体を繫げていく。ただ、この繫げるのが、非常に難しいんですけど」
365日のうちたった1日のために、日々自分と向き合って練習している
練習では常に自分と対峙して考える。そのなかで、日々悩むことも気づくことも多い。たとえば、ひとつの姿勢が上手くできなければ、できない理由を探し、改善していく。
取材に伺った日の練習メニュー
まずは15kgのシャフトを上げてウォームアップ。そして、45kg、55kg、65kg、70kgと重量を上げて、各3回ずつジャークの動きを行う。3回連続で挙げ、数分休んだ後、次の重量へ。
その後、プレスやクリーンも行う。終わったら懸垂。腰のベルトに繫がれたプレートは最大25kg! これほどの重量をつけて懸垂するのは驚きである。最後に上腕三頭筋を鍛えるディップスで締めくくった。
こうした、たった一人の地道で苦しい作業を行い、試合へと向かうのである。
さらに厳しいのは、ウェイトリフティングの場合、試合に臨めるのは年に1、2回だけということ。高重量を扱うために、それ以上試合をすると大きな負担を抱えてしまう。
「365日のうちのたった1日のために日々の練習があります。ただ、試合になったら何も考えない。試技の前にルーティンみたいな感じで“まず手はこう握って、足はこう置いて、お尻を意識して力を抜く”ということは常に頭に浮かべますが。失敗したときに、膝が前に出たなとか、いまの立ち方は悪かったな、とかは絶対に考えない。考えた時点でもう負けは決まっていますからね」
今年の世界選手権からパリ・オリンピックの選考が始まる。いくつかの大きな大会が選考の場になり、最も重い重量を挙げた者1人が代表となる。1年に1回しか試合に出られないのだから、まさに一発勝負だ。
「今、自分のベストはスナッチが83kgでクリーン&ジャークが106kgです。計189kg。まず三宅さんが旧階級の48kg級で出した日本記録197kgを越えることがスタートになります。
パリでメダルなら200kg以上が必要だし、そもそも世界ランキングの10位以内に入らないと日本で勝っても出場できない。目標を200kgとすれば、私ならスナッチで87kg、クリーン&ジャークで113kgを挙げたい。
もうやるって決めたら、そのために準備するだけ。今の自分の記録との差なんか、まったく気にしていないですね」