認知機能や食の好みにも影響? 脳と腸の関係「脳腸相関」を深掘り

精神的に追いつめられると下痢をする。排便の調子が悪いと気分がユーウツになる。脳と腸が互いに影響を及ぼし合うこうした関係を“脳腸相関”という。近年では脳と腸、さらに腸内細菌の塊である腸内細菌叢がそこに加わり、トライアングルの関係で健康バランスが保たれていると考えられている。今回は、そんな“脳腸相関”について最新研究でわかってきたことを深掘り。

取材・文/石飛カノ 撮影/内田紘倫 スタイリスト/高島聖子 ヘア&メイク/坂西透 監修/内藤裕二

初出『Tarzan』No.864・2023年9月7日発売

脳腸相関

脳・腸・腸内細菌叢の関係

脳、腸、腸内細菌叢はホルモンや情報伝達物質のサイトカイン、自律神経を介して情報をやりとりし、互いに作用を及ぼし合っている。

幸せに生きるヒドラ、 なにかと悩ましいヒト

口と腸しか持っていない腔腸動物・ヒドラは不老不死。腸内微生物学の専門家、京都府立医科大学の内藤裕二教授によれば、ヒドラはとても幸せな生き物だという。

水中を浮遊するヒドラ

水中を浮遊するヒドラ 写真/Science Source/アフロ

「食べたいときだけエサを捕らえて、シグナルが伝わって腸が動いて排泄する。老化もしないしがんもできない。彼らはめっちゃ幸せに生きているんです。ただ人間は悲しいかな老化するしがんにも罹る。それは脳を持ったせいではないかといわれています」

多細胞生物の進化の過程で最初にできた器官は腸。後発器官の脳を持ったヒトは、だからこそ脳腸相関を重視する必要がある。

腸内細菌がいないと脳細胞は育たない

脳は全身の器官にああしろこうしろと命令を与える最高司令官。と長きにわたって考えられてきたが、そうではないらしいことが腸内細菌研究の中で分かってきた。

「九州大学の須藤信行博士の研究チームが世界で初めてストレス応答と腸内細菌の関係を明らかにしました。腸内が無菌のマウスは脳細胞が発達しないため、落ち着きがなくて喧嘩っ早く、学習能力のない個体になってしまうのです」

研究結果によれば、無菌マウスは通常のマウスに比べて同じストレスに対する反応が過敏だという。

ストレスに対処するためには、脳の視床下部から下垂体を経由して副腎皮質に抗ストレスホルモンを出せというネットワークを確立させることが必要。成長していくに従ってこのネットワークは強化され、生物はストレスに耐えられるようになる。

つまり、脳のネットワークは腸内細菌なしには育まれない。脳を制するものは腸内細菌という話。

脳腸相関 グラフ

Nobuyuki Sudo et al. 2009

拘束ストレス負荷をかけたときの反応の違い。左は抗ストレスホルモンの分泌を促すホルモン、右は抗ストレスホルモン。黒線は無菌マウス、白線は通常マウス。前者の方がストレスに対して過剰に反応している。

セロトニンの9割は腸で作られる

心の安定を保ついわゆる“幸せホルモン”セロトニン。

幸福感をもたらすのは全体の約2%にあたる、脳が独自に作るセロトニン。約8%は血液中、残りすべての約9割は腸で作られている。腸で作られるセロトニンは腸管の蠕動運動を促すなどの役割を果たす。

ただし、セロトニンの材料を作っているのはやはり腸。

食事から摂ったトリプトファンというアミノ酸を腸内細菌が代謝した物質がセロトニンの材料となる。これがなければ脳はセロトニンを作ろうにも作れない。よって心の安定は得られないことに。幸福感を得たいなら腸内環境を整えることから。

セロトニン産生比

セロトニン産生比

セロトニンの約90%は腸内で作られている。セロトニンの材料となるトリプトファン代謝物も腸内細菌なしには作ることができない。心の安定は腸内環境が良好であってこそ。

消化管ホルモンが認知症予防に役立つ?

「最近、注目を浴びているのが腸から分泌されているGLP-1という消化管ホルモン。これまでは食事を摂るとGLP-1が分泌され、血糖値を下げる作用があることが分かっていました。それが、認知症予防にも効果があることが明らかになったからです」

GLP-1受容体作動薬という薬剤はこれまで糖尿病の薬として知られていたが、最新の研究でアルツハイマー病を抑制する効果が期待できることが分かったという。

糖尿病患者はアルツハイマー病のリスクが高まり、アルツハイマー病患者は糖尿病のリスクが高まることはよく知られた事実。ふたつの病気にはインスリンの感受性において関連性があり、その改善に腸管ホルモンのGLP-1がひと役買っていることが分かったのだ。

健康な人々に向けては「記憶対策」と銘打ったヨーグルトが登場したように、今後は腸をターゲットにした認知機能関連の健康情報が続々報告されるかも。

食べたいものはすべて腸が決めている?

冷蔵庫の中にいつもストックされているものがあなたの大好物、とは限らない。もしかすると腸内細菌の大好物かもしれないからだ。

「我々の嗜好そのものは腸内細菌やその代謝物によって脳が乗っ取られていることで、成り立っていると考えられます。

たとえば、甘いものに腸内細菌が刺激を受けて脳の報酬系というシステムが乗っ取られると、再び甘いものを欲するというように。今後、研究が進めばそれが正しいことが証明されると思います」

痩せたい願望があるのなら、甘いものではなく、野菜や海藻が好きな腸内細菌をお腹で育め。