渡辺一平(水泳)「雪辱を果たしたい。このオリンピックにすべてを懸ける」

東京オリンピックの出場を逃し、悔しさと大きな挫折を味わった。その経験を糧に彼は再び立ち上がった。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」No.879〈2024年5月9日発売〉より全文掲載)

取材・文/鈴木一朗 撮影/中村博之

初出『Tarzan』No.879・2024年5月9日発売

Profile

渡辺一平(わたなべ・いっぺい)/1997年生まれ。193cm、88kg、体脂肪率17%。小学校2年で水泳を始める。ジュニアの大会で数々の活躍をして、2015年に早稲田大学に入学。16年、日本選手権で2位となりリオデジャネイロ・オリンピック代表に。準決勝でオリンピック記録を出すものの、決勝6位。17年、世界選手権3位。18年、パンパシフィック選手権で優勝。19年、20年と日本選手権連覇。今年、パリ・オリンピックの出場を決めた。

うまく泳げなくても6秒台。自分のなかでも変わったと確信できた。

今年3月に行われたパリ・オリンピック代表を決める代表選考会。ここで参加標準記録を切り、男子200m平泳ぎの代表に決まったのが渡辺一平だ。リオデジャネイロ・オリンピックから2大会ぶりに出場切符を手中に収めたことになる。選考会前の彼の心境はいかなるものだったか。渡辺は苦笑しつつ、丁寧に言葉を選んで答えた。

渡辺一平 水泳選手

「東京オリンピックのときには、代表になれずに、とても悔しかったし、大きな挫折を味わいました。だから、オリンピックの選考会には、いいイメージが持てていなかった。去年の世界水泳の選考会なんかは、これまで何度も代表になっているから、悪いイメージはなかったんですけど」

理知的で冷静な言葉で話す。リオではオリンピック記録を出し、その後世界記録も樹立した。日本の競泳界を牽引する彼が、東京オリンピックの代表選考会では3位に沈んだ。2位までが代表。この大会では、佐藤翔馬が2分6秒40の日本記録で優勝、武良竜也が2位に入った。

渡辺一平 水泳選手

2人は渡辺を脅かす存在として注目されていたのは確かだった。だが、まさか渡辺がと思った人は多かったろう。積み重ねた実績と実力があった。だから、彼がオリンピックの選考会にいい印象を持てないというのは至極理解できる。ただ、彼の中にはそのイメージとは裏腹に、自分に期することがひとつだけあった。

水泳は気持ちよくて楽しい。そのココロを忘れていた。

東京の代表選考会以降しばらく、渡辺は悩んでいた。この先、どうしていくべきか。自分の進むべき道がなかなか明確にはなってこなかった。

渡辺一平 水泳選手

「もうやめたほうがいいという感情がなかったといったら、それは噓だと思います。泳ぐこと、試合に出ることが、ただの仕事になっていた。そこから、ようやく高城(直基)先生にコーチをお願いすることができた。今から1年半ぐらい前です」

渡辺は高校時代にも高城コーチに教えてもらっていて、タイムが伸びるなど、非常にいい印象を持っていた。ただ、コーチと会ったときの言葉が彼のココロに見事に刺さった。

渡辺一平 水泳選手

「高城先生は“オレが大切にしているのは、毎日の練習で選手が笑顔でプールに来ることなんだ”って言うんです。そういえば、こんな感情を僕はここ数年持っていなかった。子供の頃のように水泳は気持ちよくて楽しい、そういうココロを持って泳ぐべきだと、改めて思ったんです」

高城コーチと練習を始めた。パートナーになったのが深沢大和だ。大学時代からコーチに師事していた彼は卒業後、大手私鉄に就職したものの、オリンピックに出場するならという約束で、会社から競技に専念することを許されていた。そして、この存在によって渡辺は、さらなる高みへと上ることができたのである。

渡辺一平 水泳選手

「最初は本当にパートナーで、自分が全力で泳げば負けることはない。ちょっと力を溜めていると、いい勝負ぐらいだった。でも、去年の11月ぐらいから、全力でがんばっても勝てるか、というぐらいになってきたんです。練習中の気持ちよさでいったら以前のほうがいい。勝ちたいときに勝てますからね。それが勝てるかどうかが、わからなくなった」

実際、深沢は今年2月のコナミオープンで100m、200mの2冠に輝いている。200mは2分7秒07。これは同じ時期にカタールのドーハで行われていた、世界選手権の優勝タイムを大きく上回っていた。

まず日本記録を達成したい。そうすればメダルを持って帰れると思っている。

「深沢が泳ぐたびに自己ベストを出していく感じで、そのときはフラッシュバックじゃないけど、東京の選考会前の(佐藤)翔馬に追われている感覚がありました。ただ、大和はチームメイトだったので、二人でオリンピックに行きたいと思った。だから、後輩で追ってくる選手に、なんだか逆に心強さがありました。大和がいいタイムを出している、だったら、自分もいいトレーニングができているんだと信じていたんです」

この思考が渡辺を奮い立たせた。

大会が始まる。まず100mだ。これは「100m選手は僕たちとはまったくスピード感覚が違う」と渡辺が言う通り、出場しないという選択もあったが、200mのリハーサルのつもりで出た。それが、決勝で自己記録をクリア。調子は上々だ。そして200mに入る。予選は順当に1位。準決勝には佐藤翔馬や花車優など強豪が揃った。そのなかで、渡辺はトップで通過する。泳ぎは伸びやかで、自分でも満足できるものだった。準決勝が終わったのが夜で、決勝は翌日の夜。かなり時間が空く。

「とても緊張して大和も決勝に残ったのですが、二人で落ち着こうと11時ぐらいまでホテルのカフェでノンカフェインの紅茶とか飲んだり。必死でリラックスというのもおかしいですが(笑)、キャンドル焚いたり、ストレッチで副交感神経高めたり、湯船に浸かったりと、カラダと気持ちを休めるといった感じでしたね」

優勝。パリ行きを決める。そして、未来に繫がる確実な手応えがあった。

渡辺一平 水泳選手

「実は決勝はうまく泳げなかったんです。でも2分6秒台が出た。6秒台は3回出していますが、今までは2分7秒5ぐらいの実力で、自分の力をフルに発揮して6秒になるという感覚。でも、今回は力を出し切れなかったのにこのタイム。自分のなかでも変わったと確信しましたね」

渡辺はオリンピック出場を決めた。だが深沢は3位。二人で大舞台へという夢は終わった。とにかく真剣勝負は一瞬で人の道を決めてしまう。

「僕がここまで来られたのは高城先生、そしてチームの大和と(渡部)香生子(世界選手権金メダリスト)の存在が大きいです。みんなに支えられて、代表権を獲得できた。ただ、今はまだ何も準備ができていない。体重を落とすことも必要だし、本番までにやることは多いんですよね」

オリンピックでは苦い経験がある。リオ準決勝で出したオリンピック記録は、決勝での優勝タイムを上回っていたのだ。しかし決勝では6位。記録が彼の戦う気持ちを奪った。

「あのときはまだ力がなくて、オリンピックレコードを出して満足してしまった。ただ、今回は決勝に残れる選手として行く。正直に話してもいいですか? まず日本記録を達成したい。そうすればメダルに届くと考えています。そして、メダルを持ち帰りたい。メダルを持って帰ってきた選手と、ない選手の差は大きい。ない人はほとんど相手にされない。雪辱を果たすというか、このオリンピックにすべてを懸けてます」