加納虹輝(フェンシング)「金メダルと言ったのは、自分を奮い立たせるため」
フェンシング個人で初の金メダル。東京オリンピックの経験を見事に生かし、厳しい練習を積み、彼は快挙を達成したのだ。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」〈2024年10月24日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/中村博之
初出『Tarzan』No.890・2024年10月24日発売
Profile
加納虹輝(かのう・こうき)/1997年生まれ。173cm、66kg、体脂肪率8%。JAL所属。2018年、アジア競技大会のエペ個人で3位、団体で優勝。19年、ワールドカップカナダ大会優勝。21年、東京オリンピックのエペ団体優勝。22年、アジア競技大会エペ個人、団体ともに優勝。23年の5月にワールドランキング1位に。24年、パリ・オリンピックのエペ個人で優勝。団体で2位。
目次
あと1点で決まるというときは、もう気持ちだけが勝敗を決める。
夏開催されたパリ・オリンピックの前半戦で、間違いなく日本を盛り上げたのがフェンシングだろう。全種目で、合計5つのメダルを手にした。この競技を少し解説すると、まず3つの種目がある。フルーレ、エペ、サーブルだ。このうち、フルーレとサーブルには優先権というルールがある。優先権は先に攻撃を仕掛けた選手に与えられ、もう一方は防御に回る。つまり、攻守がはっきりしているのだ。フルーレは胴体だけが有効面で、ここを突くことでポイントとなる。
サーブルは両腕と頭部を含む上半身が有効面で、突く以外に斬るという動作でもポイントを得ることができる。では、エペは……。優先権はなし、有効面は足の裏を除いた全身。だから、と加納虹輝は言う。
「単純に先に(相手の有効面、つまりカラダのどこかを)突けばいいんです。シンプルだからわかりやすい。でも、それゆえに奥深さがある。そう簡単には先に突けるものじゃないんです。不用意に突きに行くと、やられたり、そこの駆け引きがエペならではなんだと思いますね」
加納は今オリンピックのエペ個人で金メダルを獲得した。フェンシングでの個人種目の金メダルは日本人では初で、これはまさしく快挙だ。ちなみに東京オリンピックの団体金も日本初であったが、加納個人は3回戦での敗退だった。彼は東京オリンピックが終わってから、パリで金メダルを獲ると常々公言してきた。だからパリでの試合前は自信に満ち溢れていただろうと思っていたのだが、意外な答えが返ってきた。
「自信はありつつ、やっぱりどこか不安がありました。金メダルを獲ると言っていたのは、口に出したほうが自分を奮い立たせることができる、頑張れると思ったからです。パリでの対戦相手はわかっていたので、イメージトレーニングみたいなのはできた。ただ、3回戦で当たる中国の王子傑選手は、このシーズンに2回戦って、2回負けていたんです。これでもやられるな、これしてもやられるなっていうビジョンばかりが浮かんできて、何してもダメだなって思うこともあった。試合前までイメージはつかみ切れないままでした」
しかし、答えが見つからなくても、考えて考え抜くことは決して無駄にはならない。それを加納は証明した。
スピードだけではダメ。ゆっくりを覚えていった。
3回戦敗退。東京の後、加納は自分がどうすればいいのかを考えた。3年後には、また大きな舞台がある。
「振り返ってみると、勢いでしている部分がありました。若さゆえの、スピードだけで押し切るというか。当時は23歳ですから。でも、それだとやはり見透かされてしまう。試合の後半になると相手もわかってくる。やっていることが浅かったんです」
身長は173cm。エペの選手としては小柄だ。ただ、その速さは世界でも有数。内に入り込んで突き、ポイントを稼ぐ。ただ、パターンがわかってしまえば、相手も対処する。
「ゆっくりというのを意識しました。東京の後は、最後の攻撃は速く行くけれど、それまではフェイントをかけたり、駆け引きのところはスロー、相手をよく見てということを、とくに意識するようにしました」
緩急をつける。それが武器になった。テンポが変わることで、相手には攻撃がさらに速く見える。自分の強みをより生かすことができるようになったのだ。また、筋力トレーニングを、これまで以上に積極的に取り組むことにした。
小学校6年まで体操に打ち込んでいたから、自分のカラダをコントロールすることは最初から長けていた。体幹の強さも彼の特徴で、その素地は体操で培われたものだ。それを、さらに磨いた。
「スクワット、ベンチプレスなどフリーウェイトのトレーニングが多いですが、常に腹を膨らませることを意識します。横に膨らますイメージで、これがけっこう難しかったりするんですが、体幹にとっては重要です。試合のときバッと止まった瞬間、いかにカラダがブレないで踏ん張れるかは、勝負に直結しますからね」
午前の練習、そして午後はトレーニングとその後に再び練習。日曜日だけは休み。それでも外出は好きではないから家で過ごす。3年間、これを続けた。普通だったら、こんな生活は耐えられない。ただ、加納は「楽だったし、苦だと思ったことはない」と、笑う。これが、トップのアスリートの姿なのである。そして、いよいよパリでの試合が始まった。
パラードとリポスト、これで勝つことができた。
加納は2回戦からの出場。軽快に勝利し、課題の中国・王との対戦だ。
「彼は背が高くて、左利き。僕は右だから、同時に剣を出すと重なってどちらかしか突けない。ガシャンって剣を合わせて突くと、全部彼にやられちゃう。前にイメージした通り。で、そこで勝負するのをやめて、ガシャンとなるように見せかけてパラード(止めて)、リポスト(相手のアタックをかわした攻撃動作)に変えた。それで、(ポイントを)獲りまくって勝てたんですよ」
準々決勝を勝ち進み、一番苦しんだのが準決勝だった。13対13で延長にもつれ、最後の最後で勝利をもぎ取った。「延長、あと1点で決まるというときは、もう気持ちだけ」と言うが、ここ一番で強いのも加納なのである。そして、決勝は地元フランスのヤニク・ボレル。3回戦で日本代表の見延和靖、準々決勝で山田優に勝利した選手だ。観客がフランス国歌を歌い出すようなアウェー、しかしそんな中でも勝利を摑む。
「日本人3人が負けるのはないなと思っていました。最初にポイントが取れたので、あとは行くふりしながら待って、相手が出てきたときに処理するっていうのを続けた。だから、あまり負ける感じはなかったです」
子供たちにこの競技を知ってもらい、裾野を広げるためにも頑張りたい。
手にした栄冠。しかし、この9月には早くも練習を再開した。もしかして、頭の中には4年後があるのか。
「いや、まずは来年の世界選手権ですね。1年ごと一試合一試合を目標にしていった先に、オリンピックがあるぐらいの気持ちでいるので、今はとりあえず目先のことだけを考えてやっていきたいと思っています。日本のフェンシングが強くなって、フェンシングを知らない子供たちが、大会に来てくれたりする。それで実際に始めた子もいる。この競技の裾野を広げるためにも、これからも頑張っていきたいと思っています」