
シューズ《Evo SL M》 19,800円、ゲームシャツ13,200円、 ショーツ 3,300円 以上アディダス、問い合わせ先:アディダスジャパン 公式サイト、デニム 15,400円、リーバイス、問い合わせ先:リーバイ・ストラウス ジャパン株式会社 公式サイト




〈adidas〉のスーパースター。3本線がサイドに入り、つま先にシェルトゥと呼ばれるラバーの補強が付く。今ではスニーカーの代名詞的なスニーカーだが、その出自は世界初のレザー製バスケットボールシューズだ。NBAで愛された実績はさておき、1970〜80年代は日本の部活動を象徴するシューズだったことは、あまり語り継がれていない。
やがてそれは音楽やカルチャーと結びつき、スポーツの域を越える存在になった。先に述べたアスリートを支えた屈強な作り、革のフィットがあったから、黒人たちは靴紐を結ばずに履く、というかっこよさを見つけた。そのスタイルはいつしか貧困街のキッズのスタイルへと繋がり、タフネス、クールネスを示し、Run-D.M.C.がステージで履くことでヒップホップカルチャーに取り込まれた。1986年末、ワールドツアーでRun-D.M.C.が来日した時、すでに日本のファンたちは紐なしのスーパースターを頭上に掲げて歓迎していたのだ。
僕が興味深いのは、この同年のインターハイや社会人バスケの主要大会で、強豪チームのほとんどはスーパースターを履いていたという事実だ。日本ではコートの役割を終える前に、カルチャーアイコンとして飛び火している。この同時多発的な事象にこそ、ランニングがスポーツとカルチャーを往来するために必要なヒントが詰まっている。走ることをやめたシューズは、走らないスタイルを作れないことに、メーカー各社もそろそろ気づくべきだと思っている。
今、記録のためのランニングシューズといえば〈adidas〉の《ADIZERO ADIOS PRO EVO1》だろう。フォーム素材を厚く積んだカーボンシューズにして、片足138g(27cm相当)という規格外の軽さ。その分、耐久性は「フルマラソン1レース分」とも言われている。ソールのラバーもフィルムのように薄く、削りに削った設計だ。エチオピアのティギスト・アセファはこのシューズを履いて驚異的な世界新記録を樹立した。そのスピードは《EVO 1》の革新性を示し、スーパーシューズ戦争をリードしている。
《EVO 1》のテクノロジーとイメージを一般ランナーにダウンシフトしたのが、《ADIZERO EVO SL》だ。プレートは入っていないが、削ぎ落とされたデザインとLightstrike Proフォームを踏襲している。代々木公園を走っていると、その着用率の高さに驚かされる。しかもおしゃべりしながら走るジョガーも、右から左からすごいスピードで抜いてくるランナーまで、実に多層的だ。カラーリングが絞られているからか、男女ともに総じてスタイリッシュに見える。というより、ランニング以外に自分の軸となるスタイルをもっている気がする。
〈adidas〉も《EVO SL》をただの日常のランニングシューズではなく、より文化的なポジションに置こうとしている。手の届きやすい価格で上位モデルと互換性をもたせ、イメージを一貫させている。ロンドン、ミラノ、ベルリンなど欧州各地では《EVO SL》を履くコミュニティイベントが開催されていて、自身がコンテンツをもつクールな若者たちが参加している。ランニングをきっかけに特別な時間を共有し、新しいカルチャーが生まれる。その仕組みを支えるシューズになりつつある。
求心力があるのは、出自が明快で、速く走れるための思想設計やテクノロジーが結果を出しているからだ。そしてどこまでもアディダスらしい、いや現代における《スーパースター》的なデザインが着用シーンを拡張している。世界の主要なマラソン大会や日本の駅伝で《EVO 1》が神格化され、街中や公園で《EVO SL》が愛されている今こそ、Levi’sの色褪せたジーンズに合わせるべきだし、SAMBAの代わりに履いてトレンドのブロークコアを楽しむべきだ。そしてフットボールシャツを着たまま走ってもいい。90分走り回るフットボーラーのための機能性は、日常のランで十分すぎるほどだ。ランニングウェアに抵抗がある人は選択肢に加えてもらいたい。ちなみにサプライヤーが〈adidas〉に変わったばかりのアストン ヴィラのゲームシャツは、個人的にも気に入っている。
ランニング行為そのものに焦点を当てるものではなく、その周囲にある景色をもっと優先されて欲しい。より広範な層に共感を得るにはファッションやカルチャーの体験や精神的なインスピレーションが大切だと思う。





