三好健太・吉冨愛子(ピックルボール)「高くて厳しいレベルに、 まずは自分たちを置く」

テニス選手としてそれぞれ活躍して、新たに選んだ道がピックルボールだった。二人はこの競技を日本に広めたいと思っている。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」〈2026年4月9日発売〉より全文掲載)

text: Ichiro Suzuki photo: Takahiro Akazawa

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三好健太・吉冨愛子(ピックルボール)
Profile

左:三好健太(みよし・けんた)/1995年生まれ。180cm、72kg。小学生のときにテニスを始める。松岡修造氏が主宰するジュニア選手強化合宿『修造チャレンジ』に選出されたことも。早稲田大学ではインカレで準優勝。優勝したらプロへと決めていたが、果たせず実業団へ。25歳で引退。ピックルボールの道へ。PPAツアー世界ランキング最高位47位。

右:吉冨愛子(よしとみ・あいこ)/1993年生まれ。7歳からテニスを始め、インターハイ、インカレなどで活躍。早稲田大学を卒業してプロに。全日本選手権ベスト8、ITF(国際テニス連盟)ツアー優勝など実績を残すが、4年で引退。テニスの指導、スポーツ関連ビジネスの支援等を行う。イベントでピックルボールの楽しさを知り、競技復帰を決意。今年、PPAとプロ契約。

ピックルボールはスペースが少ない。だから一瞬の判断が必要。

ピックルボールの世界最高峰プロツアーを運営するProfessional Pickleball Association(以下PPA)と、日本人として初めて夫婦で契約を結んだのが、三好健太と吉冨愛子だ。この競技は1965年にアメリカで誕生した新しいスポーツ。テニスと卓球とバドミントンを合わせたような、ともいわれる。

コートの広さもバドミントンと同じ。パドルと呼ばれるラケットと穴が開いたプラスチック製のボールで行う。ルールは、アンダーサーブで始まることや、ネットを挟んで両サイドにキッチンと呼ばれるボレーを打ってはいけないエリアがある、11点先取3セットという以外ほぼテニスと同じだ。

三好健太・吉冨愛子(ピックルボール)

で、これがアメリカでは大人気なのだ。スポーツチャンネルで番組が組まれていて、視聴率がメジャーリーグを凌いだという話もある。競技人口は5000万人以上というのだから納得もできる。

実際、吉冨がアメリカの航空会社の飛行機にピックルボールのTシャツを着て乗ったとき、キャビンアテンダントに「あなた、ピックルボール知っているの?私もやってるわ!」と、言われたという。なぜ、これほどまでに盛り上がっているのか。吉冨に聞いてみた。

吉冨愛子(ピックルボール)

「入り口が広いと思うんです。ボールは軽くて中が空洞だから、強く打っても相手に届くまでに遅くなる。他のスポーツ、といっても私はテニスしか知らないんですが、ラリーはそう簡単にできない。でも、ピックルボールなら20〜30分やれば誰でもできるようになる。それだから、これまでスポーツ未経験だった有名人たちも楽しんでくれて、どんどん広まっていったのだと思います」

ただ、この競技は奥が深いし、それだからこそ多くの観衆が魅せられる。打った球が、相手のもとに届くまでに遅くなるということは、パワーがあれば勝てるというものではないということ。もちろん、パワーはあるに越したことはない。でも、戦術が非常に大きくモノをいう競技でもあるのだ。三好は魅力を語る。

三好健太(ピックルボール)

「コートのキッチンというのがよく作られていて、ここにボールが入ると、(ボレーのように上から)強打できなくなる。だから、力がある男性に女性が勝てるかもしれない。それが盛り上がっている理由でしょうか。それに、テニスだとコートが広いですから、ここを狙えば決まるという場所があったりしますが、ピックルボールでは狭いからスペースというよりは一瞬の判断になる。クイックでスピード感のある展開が、見る人にとっても魅力なんです」

最初は、ああこんなのもあるんだなって感じ。

吉冨は元プロテニスプレイヤー。三好はプロには一歩届かず実業団でプレイした実績を持つ。互いに引退し、結婚後にまずピックルボールの情報を得たのは吉冨であった。

吉冨愛子(ピックルボール)

「テニスのときにスポンサーをしてくれたコートの施工会社の社長さんから“スポーツの展示会でピックルボールを紹介するから調べて”と言われたんです。それまで、まったく知らなかったのですが、調べたらテニスのレジェンド(アンドレ・アガシ、ジョン・マッケンローなど)がやっているなんてのがあって。それでもあのときは、あぁ、こんなのもあるんだなって感じでしたね」

だが、その繫がりで会社が開催したピックルボールのイベントに参加する。とんでもなく面白かった。プロテニスプレイヤー時代には苦しさだけだった。だが、「子供のころの楽しさ」(吉冨)がピックルボールで蘇った。三好にそれを伝える。そして、埼玉にサークルがあると聞き、二人で参加したのだ。

三好健太(ピックルボール)

結果は「おじさまたちに、ボコボコにされた」(吉冨)らしい。でも、4時間ぶっ通しでプレイした。「家に帰ったときは寝落ち」(三好)だった。そんなとき、最初のイベントで仲良くなったアメリカ人から、大会に参加しないかと吉冨に声がかかる。

「声をかけられてもう一度選手としてやってみたいと、三好に言いました。彼は、噓でしょ?と最初は少し呆れていたんですが、次第にテニスで諦めたプロの夢に、ピックルボールでもう一度チャレンジできるなら、本気で目指したいという気持ちに傾いていったらしいんですよ」(吉冨)

この競技の文化を日本に広めたい。そのために世界で活躍する。

いきなりプロ! 今度は吉冨が驚いた。だが、今年1月1日に世界ランキング上位のプレイヤーだけが所属できるPPAの参戦にまで漕ぎ着けたのだ。埼玉のおじさまにボコボコにされた二人が、である。

もちろん、そこには不断の努力がある。常に基礎練習を繰り返す。これは二人だけだから保たれている。「他に人が入ると楽しくてゲームという空気になってしまう」(三好)のだ。

三好健太・吉冨愛子(ピックルボール)

地味で辛い習得を繰り返すことが一番なのだ。今年のシーズンは始まっているが、二人はアジア(ベトナムやマレーシアは強いし、人気もある)で10大会、アメリカでも10大会に出場する予定だ。

子供たちに夢を。そのためには稼ぐことも重要だと思う。

実は、ベトナムにはすでに拠点を構えている。去年そこで強い選手と練習してきた。ただ、今年からは本場アメリカのPPAツアーで戦うのだ。もう一度、この競技のすごさを確認できる事実をひとつ記す。このツアーでは、年間賞金総額が4000万ドル(1ドル150円として60億円)。もちろん、トップ選手になれば大きく稼げる。

三好健太(ピックルボール)

「日本でピックルボールを広めることも僕の目標ですが、子供たちがこの競技が楽しいとなったとき、でも稼げないんだよ、では参入する人も少なくなる。自分たちは先駆者としてしっかり稼ぐことも大事。そのために今は、簡単に表彰台に上がれない大会でプレイすることで、自分たちを高くて厳しいレベルに置くようにしています。それに、アメリカに出ていくなら、今以上にコネクションを作って、強い選手と練習できたり、トレーナーに現地で見てもらえたり、そういう環境を整えていくことも大切になりますね」(三好)

二人にとって戦いの場である大会は厳しさがつきまとうが、実はその会場はとにかく楽しさに包まれている。一般の人の試合とプロ、シニアの試合が一緒に行われていて、いつでもたくさんの人がやってくる。

吉冨愛子(ピックルボール)

「音楽が流れて、ビールは売っているし、盛り上がるなかでトップ選手は本気で戦っている。それを観戦している人の声援も大きい。テニスの大会では考えられない。そんな開放的というか、今の若い人たちがやっているスケートボードやブレイキンの大会に近い感覚がある。日本でも人気が出ればと思っていますし、ピックルボールの文化も広めたい。そのためにも、がんばらなくては! まず今年、二人とも世界ランキング20位以内を目指したいです」(吉冨)