自分のために、誰かのために。手を差し伸べて循環する、旅の連鎖。|自分の旅のつくりかた。 vol.07 北澤 肯(Alternative Bicycles 主宰)

旅は人生を彩る。旅に出る理由は人それぞれだけれど、自分にしかないテーマやモチーフを追い求める人は素敵だ。ふとしたきっかけから世界を自転車で旅し始めた編集者が、"旅の先輩"を訪ね、その真髄を聞く連載。​第7回は、自転車で走ることと社会を地続きに捉え、循環する旅を体現する、北澤 肯さんを訪ねます。

interview, text: Satomi Yamada photo: Masashi Ura

Profile

北澤 肯(きたざわ・こう)/1971年生まれ。英会話学校講師、フェアトレード・開発援助コンサルタントを経て、マウンテンバイクやバイクパッキング等オフロードな自転車アクティビティ関連のギアの輸入販売、イベント企画を行うオルタナティブバイシクルズを立ち上げる。SSWC(シングルスピード世界選手権)2015主宰。フェアトレードタウン認定委員、奥武蔵マウンテンバイク友の会副会長を務める。2026年4月、YouTubeチャンネル『オルタナティブ自転車チャンネル』を開設。

実体の掴めない、〈Alternative Bicycles〉という気になる店。

「バイクパッキング」と呼ばれる旅がある。必要な荷物をすべて積んだ自転車で進む先には、自ら道を​切り拓く自由がある。その景色は、狂おしいほどの魅力に満ち溢れている。そんな旅に取り憑かれて5年。バイクパッキングはいつしか、走って、食べて、眠るという、わたしの生きる営みそのものになった。それは単なるアクティビティではなく、世界の本質を見抜く目を研ぎ澄ませていく行為だ。けれど、これまでこの精神性を共有できる人に出会うことは、多くなかった。

バイクパッキングにふさわしい自転車は千差万別だが、共通して求められるのは太めのタイヤと積載時の安定感。北澤さんの最近の愛車は、アメリカ・コロラド州発の〈Black Sheep Bikes〉。

始めたてのころ、必要な装備を求めてリサーチを繰り返すなかで、必ず辿り着く店があった。〈Alternative Bicycles〉という、バイクパッキングに特化した道具を扱う輸入代理店だ。気になるアイテムはたくさんあるが、実店舗はない。卸先のショップによって置かれている商品は異なり、一度にすべてを手に取って確かめることができなかった。その実態の掴めなさが、かえってわたしの好奇心を強く突き動かした。

ウェブサイトを読み進めるうち、代表を務める北澤 肯さんのプロフィールに目が留まった。この店を立ち上げる前は、英会話学校の講師や、フェアトレード・開発援助のコンサルタントをしていたという。きっと、海外の流行を追うだけでなく、文化的にも社会的にも独自の視点を持って世界を歩いてきた人に違いない。

さらに、2017年に刊行された著書『バイクパッキングBOOK』(山と渓谷社)を見つけた。日本でこのカルチャーが根付き始めた最初期に書かれた本だと思う。購入して読んでみると、初心者にもわかりやすいノウハウの合間に、北澤さんの旅の経験がコラムとして挿入されていた。わたしもこの本を参考にしながら、旅の装備を探したりもした。

けれど、何より惹かれたのは、北澤さんの言葉の端々に、自分と似たような熱を感じたからだ。ネットで見つけたインタビューもいくつか読んでみたけれど、もっと深い部分を本人の言葉で聞いてみたい。自転車という道具を使って、世界の何を見ようとしているのか。その根底にある精神性をもっと知りたい。そう思い、この連載でインタビューをさせてもらえないかと依頼することにした。

叔父から継いだ冒険心と、世界の不条理を見つめる眼差し。

取材場所は、埼玉県某所の山。わたしも自宅から自転車を車に積み込み、約束のトレイルへと向かった。そこは、都心からそう離れていないことが信じられないほど、豊かな自然が守られた森だった。

自転車のなかでも、マウンテンバイクをとりわけ愛する北澤さんが、長年保全活動を続けている“秘密基地”だ。

低い起伏が続く緩やかな丘陵地には、クヌギやコナラといった雑木林が広がり、かつての武蔵野の原風景が今も大切に守られている。

北澤さんがこの山を走り始めたのは、2009年ごろ。そのおもしろさに魅了される一方で、いつ走れなくなるかわからないトレイルの危うさを感じ、自ら市役所に電話をかけたのが活動の始まりだった。

「自転車で山を走ることがどういうことなのか、最初はなかなか伝わらなくて。粘り強く説明してようやく『まちづくり推進委員会』という地元のNPOを紹介してもらい、山道の保全活動を始めました」

しかし、そのなかにはマウンテンバイクに反対の人もいて、一緒に活動することを拒絶された時期もあったという。それでも森に通い、あいさつを交わし続けた。そんな誠実な積み重ねを見て、後継者不足に悩む地元の団体の人たちから、再び歩み寄りの声がかかった。

月1回のペースで、山の見回り活動を実施している。この土地の自然を守ることも、北澤さんの大切なライフワーク。

「ここは斜度が緩やかで、川も流れている。マウンテンバイクのカルチャーにとって、なくてはならない場所なんです」

仲間とともに10年以上、この活動を続けている。やはり、北澤さんの視線は、自分が楽しむことの先にある、もっと大きな循環を見つめている。その姿勢は、今も昔も、ずっと変わっていないのだなと感じた。

北澤さんは、あえてシングルギアを選んで走る。変速機に頼らず自分の力でトレイルと一体になる、自然との一対一の真剣勝負が、何よりも楽しいという。

どうして自分のことだけではなく、外の世界に関心を持つようになったのだろう。

「僕の叔父が、いわゆるヒッピーだったんです。80年代前半に期間工をしてお金を貯めては海外へ行き、1〜2年バックパッカーをやるような人で。盆暮れに会うと、いつもとびきりおもしろい話をしてくれました。モロッコで強盗にナタを突きつけられ、空手もできないのに『アチョー!』と叫んで相手が怯んだ隙に逃げた話とか(笑)。叔父は本当に、何年も旅をしていて、そういう破天荒な話を聞くうちに、海外にはなんておもしろい世界があるんだろうと、強烈に惹かれるようになりました」

一方で、両親とは海外のドキュメンタリー番組をよく観ていた。子どものころから世界の不公正さや貧困についても知っていて、「なるべくそういう現実に関わりたい」という思いが、心のどこかにずっとあったという。

人が旅に出る理由なんて、案外、本人にも説明のつかないものかもしれない。けれど、北澤さんのルーツに触れたとき、すっと腑に落ちる感覚があった。DNAとして流れる冒険心と、環境に根ざした社会への眼差し。その両方が、北澤さんを外の世界へと導いたのだろう。

目の前の現実に、自然と手を差し伸べる。

大学へ進学し、アメリカ留学を目指して語学に励んでいた北澤さんは、4年生に上がる春休み、初めてひとりでバックパックを背負ってインドへ飛んだ。

「まずはバンコクでトランジットしました。カオサンロードにある、当時一泊300円の宿でも初日から何の抵抗もなく寝られたし、楽しいと思った。そのあと向かったデリーは、埃と人とラクダが入り混じる凄まじいカオス。殺伐としたところだったけれど、それも楽しかったですね」

そこは、幼いころから叔父に聞かされてきた、憧れと熱気が渦巻く場所だった。

「旅人は、それぞれにこだわりと心地よい道具を持っている」。そう話す北澤さんが、長年の経験を経て選び抜いた道具たち。

キャンプでの調理は〈Patagonia〉のネイチャーストーブで。3分割できるコンパクトさと、環境への配慮が決め手。燃焼効率が良すぎて枝をくべるのに忙しいが、それもまたこの道具の良さ。

卒業後、アメリカ留学を経て、英会話学校で働きながら教員免許を取得。そのまま教師になる道も見えていたけれど、カンボジアの農村での医療協力という仕事に巡り合う。内戦終結から10年ほど経っていたが、当時のカンボジアはまだ貧困の真っ只中にあった。

「農村に暮らす妊婦のほとんどが、病院で出産できる環境にありませんでした。そうして起こる悲しい事故を減らすための保健プロジェクトに、運営管理スタッフとして現地へ行くことになったんです」

自分のためではなく、誰かのために。幼いころから世界の不条理を見つめてきた北澤さんにとって、目の前の現実に手を差し伸べることは、旅をするのと同じくらい自然で、避けては通れない生の営みのように感じる。

その後、〈JICA(国際協力機構)〉のコンサルタントとして、ベトナムやセネガルで10年近くフェアトレードを通じた産業振興に携わる。

「ちょうどその頃から、ムハマド・ユヌスの『グラミン銀行』のように、マイクロクレジットで貧困層の女性に少額融資をしてビジネスを支援したり、フェアトレードで経済的な自立を促したりといった、ビジネスの手法で貧困を解決する流れが生まれ始めていた。その知識もあったので、10年近く各地でプロジェクトを担当しました」

時代が大きな転換期を迎えるなか、現場の知識と語学を併せ持っていた北澤さんは、まさに必要とされる存在だった。

打算のない「好き」の純度が、唯一無二の商売を形づくる。

北澤さんが自転車に魅了されたのは、ちょうど人生の節目が重なった時期だった。

英会話学校の教え子たちが門出に贈ってくれた餞別で、一台の〈GIANT〉のクロスバイクを購入した。カンボジアで新たな仕事が始まるまでのまとまった時間を使い、北海道へと向かった。

「東京から釧路までのフェリーに自転車を載せて、知床までキャンプをしながら走りました。秋になると川に遡上してくるカラフトマスを釣って、海岸のキャンプ地で調理して食べる。そんな旅をしていました」

それが、北澤さんにとって初めての本格的な自転車旅だった。自らの脚で走り、自分で獲ったものを食す。そのおもしろさに火がつき、自転車で海外を走ったら、もっと楽しいはずだと確信した。

キャンプでは、風の音や空気をダイレクトに感じたい。だからなるべくテントは張らず、タープの下にマットとシュラフを敷くだけ。そんな自然に溶け込むようなスタイルが、北澤さんのお気に入り。

〈Panasonic〉のマウンテンバイクを手に入れ、次はモロッコへと旅立った。

「カサブランカに入り、ラバト、メディナ、マラケシュへ。アトラス山脈は過酷でしたが、その先に広がる砂漠を目指して40日間ほど旅をしました。今ほど道具も揃ってなかったし、お金もなかった。荷物は自転車にゴム紐で無理やり括り付ける、いわゆる『ドカ積み』のスタイルでしたが、それでも最高に楽しかったです」

旅の道具は不完全で、膝を痛めて断念した計画もあった。けれど、その経験が、北澤さんをさらなる深い旅の世界へと引き込んでいった。

ベトナム赴任時にも自転車を携え、現地を調査する際にも使った。その後のセネガルでの仕事は、日本と現地を2ヶ月ごとに行き来するサイクル。さすがに自転車は持っていかなかったが、日本に戻っている期間は、まとまった余白の時間でもあった。

「これまでの活動で少し蓄えもできていたし、日本にいる間は仕事がない。そんななかで、日本にまだ入ってないおもしろい自転車パーツがいろいろあることに気づいたんです。最初は、それらを自分で仕入れて、ちょこちょこ売ってみようかという程度の軽い気持ちで始めてみました」

世界各地で、ビジネスの手法で課題を解決するプロフェッショナルとして働いてきた北澤さん。自分自身の「好き」を形にするために選んだのもまた、ごく自然なスモールビジネスという形だった。でも、本格的な商売にするつもりは毛頭なかった。

必要な道具は、すべて自転車に括り付ける。選んだのは、イギリス発のパッキングブランド〈APIDURA〉のバックカントリーサドルバッグ。

「僕が買い付けたものを欲しいという友だちがいたので、ついでにちょっと多めに仕入れるくらいの感覚だったんです。そうしたら、今度はショップからも卸してほしいと声がかかるようになって。そこから、扱うブランドも取引先もどんどん増えていきました」

そうか。きっと、これが北澤さんの真骨頂なのだと思った。

自分のため、誰かのため、あるいは何かのため。そんな境界線を飛び越えて、心の赴くままに、自然と手が伸びる。そして、手にした佳きものを、必要とする人へ惜しみなく差し出す。

そこには、見返りを求めるような打算はない。けれど、その「計算のなさ」が生む純度こそが、結果として、他の誰にも真似できない北澤さんだけの唯一無二の商売を形づくっていく。

利益を優先して動けば、決して見つけることのできない価値。それは、損得を度外視してでも「まだ見ぬ世界を見たい」と願った叔父さんのような無垢な旅人の精神が、ビジネスという形を借りて自然に滲み出たものなのではないだろうか。

国境を越える、純粋なものづくりの熱。

50代を迎えた北澤さんの探究心は、既存のブランドを日本に紹介する目利きの領域にとどまることはなかった。その混じりけのない情熱は、ついに自らの理想をゼロから形にする作り手としての挑戦へと向かう。

「長年、海外の素晴らしいブランドを扱ってきましたが、自分の思いを形にして商売している人たちが、ずっと羨ましかったんです。それに輸入代理店という立場は、どれだけブランドを育てても、いつ大手に権利を奪われてしまうかわからない。だから、自分自身のブランドを持ちたいという思いが、ものづくりの欲求として強くなっていきました」

そうして2022年、3年半もの開発期間を経て生まれたのが、自転車工具ブランド〈equipt〉だ。

自転車旅に欠かせない携帯工具。たった38gと、長年の経験と研究から導き出したのが、この〈equipt〉の《サーディン》だ。4種類の六角レンチとT25トルクス。使用頻度の高いサイズに絞り込んだそのミニマリズムに、機能美が宿る。

「とにかく自分自身がめちゃくちゃ自転車に乗るし、工具をよく使うんです。でも、既存の製品で満足できるものがなかった。だから理想を突き詰めました」

一般的な工具が数千円で買えるなか、〈equipt〉のサーディンは9,300円。決して安くはない。けれど、発売されるやいなや、世界的に影響力のあるオルタナティブな自転車メディア『The Radavist』で絶賛され、世界中のユーザーからダイレクトにメッセージが届くようになった。

〈equipt〉第二弾の商品は、ペダル用レンチの《キューカンバー》。スルーアクスルの着脱にも適した設計となっている。携行性に特化したペダルレンチは他に例がなく、荷物を切り詰めたいサイクリストには重宝する。

その手応えには、これまでのビジネスとはまったく異なる充足感があった。

「今までは海外のブランドを日本に紹介する役割でしたが、今は自分の名前で、世界の自転車コミュニティのプレイヤーになれた。自分のプロダクトが国境を越えて評価され、誰かの旅の道具になる。それが今、一番おもしろいですね」

やっぱりそうだ。自分の「好き」や「やってみたい」の純度を突き詰めることが、結果的に誰かの幸せにつながる。そんな循環こそが、北澤さんがずっと続けている、終わりのない旅なのだ。

言葉を紡ぐための、循環する旅。

生きる営みとしての自転車。北澤さんの歩んできた軌跡を辿るうちに、わたしがバイクパッキングに感じる「狂おしいほどの魅力」の正体が、少しわかった気がした。

それは、単なる旅ではない。自分と、社会と、そして見知らぬ誰かの幸せを、ひとつの車輪で繋いでいく「循環」の旅なのだ。北澤さんが生み出した道具が海を越え、誰かの旅を支えているように、わたしの漕ぐ一漕ぎもまた、世界のどこかと繋がっているはずだ。

わたしの旅はいつも、その道のりを言葉として紡ぐことで完結する。だからこれからも、ペダルを漕ぐことで生まれる言葉を丁寧に拾い集めていきたい。北澤さんのような、嘘のつけない​純粋な旅人の物語を、自分の言葉で伝えていきたい。

その積み重ねが、いつか、わたしだけの旅の循環になっていくと信じて。