心配性のアーティストの生存戦略。
表現者たちの、老いに対するさまざまな想いを採取するシリーズ「老いと表現」。今回は、アーティストの牛木匡憲さんにお話を伺いたいと思います。独特の画風で知られる牛木さんは、1981年生まれ。老いを語るにはさすがに早すぎるんちゃいますか、とも思うのですが! しかし牛木さんは、日々将来について心配してるんです。そしてその心配っぷりを、これでもかと発信しているんですね。これが無茶苦茶面白い。心配の中に滋味がある。ある種の芸風ともなっている。将来に対する心配文を書かせたら、牛木さんの右に出る者は思いつかないです。日本チャンピオンなのです。
牛木さんは、数年前に私も住んでいる京都に拠点を持ちました。それ以来、お茶を飲んだり、書き初めにいっしょに行ったりするなど仲良くさせてもらってます。その折々に、牛木さんの心配話、サバイバル戦略を聞くのですが、パワーワードがバンバン出てきてかなり面白い。これは、みなさんにお裾分けしなくては! という使命感にかられまして、ご登場いただいたという次第です。
より負担の少ない方法へ。

日清食品の「カップヌードル」発売50周年を記念して開催された、PARCOとのコラボレーションイベント「CUPNOODLE×PARCO SPICE UP YOUR SENSE」にて手がけたイラスト。日本の80年代~90年代のアニメや特撮の表現をベースに、アナログとデジタルをミックスするのが牛木さんのスタイル。
ガビン
今日は、牛木さんの将来に対する心配の話を聞きたいんです。日々サバイバル戦略を考えてるじゃないですか。そして発信もしている。あれってなんなんですか?
牛木
心配性なんですよね。これからの生活、お金のことが気になって、常に頭の中にあって、ある意味、ビジネスとしてイラストレーターっていう仕事を捉えているところがあるんですよ。
ガビン
確かに、SNSで発信されていることには、かなりビジネスの要素も入っていますね。でも、なんかビジネスについて語りつつも、それは表現を続けていくためというようにも見えますが。
牛木
見抜かれてる……。そうですね、お金のことを考えつつ、お金よりは表現が常に上にあるという状態を維持したいと思ってます。完全にお金に走っちゃってる人も、いっぱいいらっしゃると思うんですけど……。
ガビン
前にお会いした時に「イラストレーターの寿命って3年しかないんですよ」って言ってたのがすごく印象に残ってるんですよ。人気商売の賞味期限的な意味だと思うのですが。
牛木
それはですね、僕もイラストレーターの先輩から教わってきたものですね。白根ゆたんぽさんとかから「賞味期限は3年しかないんですよ」と。正確じゃないかもしれないですけど。
ガビン
それだけ厳しい世界だぞ、という戒めなんですかね。
牛木
でも、その後聞いたら「5年だ」って言ってて「あ、やったー!のびてる!」って思ったんですけど。
ガビン
それってつまり、イラストにも流行り廃りがあって、売れたと思っても数年後は闇だぞ、ってことですよね。
牛木
そうですね。ただ以前とは少し変わってきてるような気はします。SNSなどがあって、ずっと応援してくれてる人と繋がっていて、コミュニティが出来ている。サステナブルですね。
ガビン
サステナブルと言いつつも〜、めちゃくちゃ心配されてますよね。これから表現活動を続けていく上での牛木さんの、生存戦略とかポリシーみたいなやつを今日はお聞きしたいんですけど。
ガビン
そんなに「老い」を軸にしなくても……大丈夫です! ちなみに今おいくつなんでしたっけ。
ガビン
ヤングですね。人生100年時代のまだ半分以下ってことなので。ここまで生きた年数と同じくらい残ってますよ。
牛木
いやあ、そんなには生きられないな〜って感じがしてますけど。
牛木
漢方の先生とか鍼の先生とかにも「いや、あなたはひどい」みたいなことをすごく言われるんですよ。常に「内臓がむくんでて疲れやすい」とか「ジョギングとかはやめた方がいい」っていう。
ガビン
全然『Tarzan』的じゃない話題じゃないですか。
牛木
僕に何かを買わせるために言ってるのかもしんないんですけど。中国医学で気虚とか言われるらしいですけど、とにかく弱いと。君は歩くことしかできない。運動はムリだ、歩き続けろって言われたりとか。
牛木
鍼の先生は、もう何千人と見てきたなかで、強い人、中くらいの人、弱い人、って分けると、完全に「弱い人」の中に入ると。毛の生え方からして弱いと。
牛木
ムダ毛の生え方が「弱い人」の生え方。強い人は、こうブワッと生えてるみたいなんですけど、僕の場合は守るためにフワッと生えてるとか。関節と腰とかに無駄に生えてたり。身体に関しては昔からいいこと言われたことは一度もないですね。
ガビン
ああ〜、もう最初から防御の重要さを感じてたから心配するように?
牛木
そうですね。「体が弱いっていう設定」の中で生きているので、仕事もそのように組み立てていかないとなと思ってて。
ガビン
もともと弱いし、今後はどんどん弱まっていくという設定なんですね。
牛木
今は、こうペンで描いてるんですけど、やっぱもう手の関節がですね、ヤバいんです。
牛木
だからペンから筆に移行したいんです。もう徐々にシフトしていってるんですよ。水彩画が一番多分、手には負担がないから。
ガビン
45歳にしてもう水彩へのシフトを考えている……。
牛木
もう完全に考えてますね。例えば宮崎駿さんとかは、もう鉛筆は「7B以上じゃないと描けない」とか言ってるみたいですよ。僕ももう「3B以上」じゃないと描けないんです。
ガビン
柔らかい鉛筆じゃないと描けなくなってきてるんですね。
牛木
いやもう3Bもムリになってきてるんで、次は水かなとは思ってます。
牛木
いや、同業者の人でも腱鞘炎で描けなくなった方とかいますからね。本当に強い遺伝子の方もいると思うんですけど、僕はそうじゃないんで。戦略的にはよりソフトな方へソフトな方へ……。
サラリーマンからのアーティストチャレンジ。

個展「WIRED」(2026年春に人形町の「tagboat」にて開催)に向けて、制作に取り組む牛木さん。今回は、エアブラシを使った制作にもチャレンジした。
ガビン
牛木さんの来歴を読者の皆さんにも共有しといた方がいいと思うんですけど。もともとフリーのイラストレーターってわけじゃないですよね。美大を出て、一度サラリーマンをやっていて。でもイラストレーターとしてやっていきたいという思いが強くあったんですか? 憧れというか。
牛木
イラストレーターって職業の在り方も時と共に激しく変化してますが、最初はそうですね。都築潤さんとか田中秀幸さんとか水野健一郎さんとかに憧れてたんですけど、いつの間にか誰もイラストレーターって名乗っていなくなってて。
ガビン
あー。あの方々は確かにそうですね。依頼されて描いてないというか。
牛木
そういう意味では僕はイラストレーターをロールモデルにしてないなとは思ったんです。ギャラリーとかも、イラストレーターには貸さないとかあったりして。
ガビン
アーティストって名乗ってしまった方が話が早かったり?
牛木
水野健一郎さんに相談したら「肩書きなんて自分がなりたいものを書けばいいだけだよ」と勇気づけられて、「アーティストです!」って言おうと思って。
ガビン
ではこの原稿でもアーティストと記しておきます!
ガビン
メディアとかで肩書きが必要な時はどうしてるんですか?
ガビン
前に聞いたのは、もともと会社員をやってたけど、「期限付きでアーティストにチャレンジしていい? 」と奥さんに相談したといういい話があったじゃないですか。
牛木
あ、そうなんです。Webの制作会社で社内恋愛・社内結婚という流れなんですけど、まだ子どももいなかったので、28歳くらいの頃ですかね。最後のチャンスだから「やっていいかな」って相談したらすごい寛大な人なので「いいよ、1年くらいやったら」ってことを言ってくれたんですよね。
牛木
それで村上隆さんが主催する「GEISAI」で何か賞取ったら続ける、みたいな設定にしたんですよ。そこを目指して1年やると決めたんです。
牛木
そしたら震災で「GEISAI」がなくなってしまって、じゃあ翌年かなと思ったら、翌年からもう「30歳以上は出れらない」って条件になってしまって。ちょうど 30歳になった頃に。
牛木
あ、諦めました。目標にしてた場所がもうない。出られない。子どもも生まれたタイミングだったんで、あ、もう諦めようと。もう無理だと思ってアーティストはやめようって。
ガビン
え!? チャレンジ大成功って話かと思ってたんですけど。
牛木
いや、もう無理だと思いました。妻が妊娠して会社をやめて、2人ともプーだと。その時でも本当に、出産費用の40万円がなくて。妻が通っていた病院が「後払い」じゃなくて「先払い」だったんですよ。とにかくパンの耳とか食べながら暮らしてて、もう僕が働かないと絶対に無理だと。で、近くにあったコロプラっていうゲーム会社さんに入れてもらったんです。
牛木
そこは業務委託で。でもそこで僕は大活躍をしたんですよ。上場まで持っていくメンバーに入れてもらって、あの鐘を鳴らすとこまで行ってきましたよ。
牛木
そうこうしてたら妻が「子育てだけしてるんじゃなくて、もう自分で働きたい。家でじっとしているの嫌だから」ってことになったんですね。あれ? えっと、イラストレーターをまたやっていい感じ? ということになったんですよ。妻は自分の方が稼げる自信があったと思うので、じゃあ、おまえが家庭に入れという感じで。
牛木
主夫イラストレーターですね。まさかまたチャンスが巡ってきたと思って。
牛木
メインの子育てに、副業のイラストがあるという状態が2年くらいありましたね。
下手さからの脱出。

Instagramに日々アップしている、モノクロの顔のシリーズ。左は2016年の作品、右は2026年の作品。投稿をスタートしてから今に至るまで2400枚ものイラストを描き、積み重ねた日々が線の鋭さと表情の奥行きを生んだ。
ガビン
そこから今に繋がっているわけですね。私から見ると、あれよあれよと売れっ子アーティストになっていった感じがしますけど。
ガビン
はい。いろんな展開をされてますよね。他のアーティストとは違う工夫があると思うんですよ。例えばInstagramで日々アップしている、モノクロの顔のシリーズがありますよね。ものすごい数の。あれって戦略的なものなんですか?
牛木
結果的にそうかもしれないです。自分でもこんなうまく発展するとは考えてなかったので驚いてるんですけど。もともとドローイングの練習を毎日やっていたんですが、それを公開して世界中に広げることができるInstagramという場所ができた!って喜んでいたんですよ。そしたらそれが、本になったりグッズになったりし始めたんですよね。
ガビン
それは勝手にそうなったわけじゃないでしょう。
牛木
そうですね。考えてました。そういうマーチャンダイズを作家が始めるのも、世の中的には早かったと思います。あれで収入のひとつの柱ができたんですよね。
ガビン
じゃあ最初はお金のことに関する戦略ではなく、ある種日課のように行うことで日々の鍛錬にもなり、精神の安定にもなる、みたいなことだったんですか? 修行戦略みたいな感じでしょうか?
牛木
そうですね。Instagramそのものが収入になるわけじゃないので。
ガビン
ではどっちかというと、自分の引き出しを増やすみたいな意図でもあります?
牛木
「白黒の絵で顔」っていう縛りだけなので、目をすごくアレンジしてみたりとかできるんですよね。あとInstagramはアウトプットだけじゃなくてインプットの場でもあって、いろんなアーティストさんから刺激を受けて、Instagramの中でインプットとアウトプットを繰り返しているうちに、なんかいい感じに。
ガビン
あれだけ数を描いてるとうまくなっちゃいますよね?
牛木
そうなんですよ。いま2400枚くらいあるんですけど、最初の頃ものすごく下手くそです。信じられないくらい下手です。
ガビン
前に「絵が下手なのがコンプレックス」って言ってましたよね。ムサビ(武蔵野美術大学)に入る時に「絵が下手すぎて小論文で入った」て。
牛木
そうです。出身が新潟の田んぼの真ん中みたいなところで、美大予備校に1年通ってみたもののデッサンは全然ダメ。それで初めて小論文の課題に取り組んだら「なんでこんな書けんのか」って思うくらい書けちゃって、それで小論文あるところも受けたんですよ。デッサンだけのところは全滅でした。
牛木
大学に行っても、僕だけが下手なことがずっとコンプレックスでした。ダブルスクールみたいに別の学校でも絵の練習をして。でもひたすらInstagramで顔だけ10年描いていたら、顔だけはもうコントロールできるようになったんですよね。しかも似顔絵も描けるようになっちゃって。
牛木
この間もジャカルタで似顔絵イベントにすごくたくさんお客さん来てくれて、120人描きました。
ガビン
2400枚の歴史の一部になれる感じで、魅力ありますよね。もう自由自在に描けるようになったと。
牛木
顔しか描けない。残りの人生で身体を描けるようになるのは無理なので、最近は「手」を絵に入れ始めてます。「手」だけなら間に合うかもしれない。
ガビン
修行は厳しいですね。それにしても日々の筋トレ大事って話でもありますね。
ガビン
ところであのInstagramのシリーズって結構長めの文章もついているじゃないですか。あれもいいですよね。なんかすごく読みやすくて。あれも何か意識して書くようにしてるんですか?
牛木
あの絵って白黒だし、動画でもないし目立たないじゃないですか。だから日記要素を付け足してみたんですけど。
ガビン
そこも戦略なんすか。日記にしちゃ、めちゃくちゃ長いのありますよね。
牛木
基本、みんな「役に立つ」ことしか読んでくれないと思うんですよ。それで僕のフォロワーさんってやっぱり絵を描いていたりとか、もの作ってる人が多いんですね。だから、そういう人に「役に立つ」ように、こうするといいよ、みたいなことを書き出すと熱くなっちゃって、長くなっちゃうんですよね。
ガビン
これもまた「戦略」始まりなんだけど、熱くなっちゃって逆に個性が出ちゃうパターンだ。
牛木
姑息な始まり方なんですよね。そういえば最近「サイコパス」だって言われました。「お金のことを考えすぎてる、あいつは嘘つきだ」みたいな。
ガビン
えー、むしろピュアすぎる感じですよね。誰に言われるんですか?
牛木
いや、制作に対して純粋な人たちからしたら、こういう商業的な計算をしてるイラストレーターは、嘘つきに見えるみたいなんですよね。
ガビン
そんなあ。もっとお金の方向に振ってる人たくさんいますよね。
牛木
いますいます。ふりきってる人はすごいと思いますけど。
「職業」としてのアーティスト。
ガビン
さっきのモノクロの顔のシリーズ以外にも、いろんな絵の幅を持っていますよね。もちろん意図的に拡げにいってるんですよね? 生存戦略的に。
牛木
さっきの白根ゆたんぽさんが言ってたのは「1柄5年」ってことだと思っているんです。イラストレーターが途中で絵柄を変えることって、ゆたんぽさんがパイオニアだと思っていて、最初厚塗りの絵を描かれていて、途中からシンプルな線で女の子を描かれるようになりました。ああいうことできるんだ……と衝撃を受けまして。
ガビン
途中で“Spark”っていうユニットもやられていましたよね。
牛木
Spark大好きでした。すべての待受画面をSparkにしてました。
ガビン
違う絵柄を試してくのは、白根ゆたんぽリスペクトだったんですね。
牛木
そうなんです。でも僕は途中で絵柄を変えるんじゃなくて「同時に複数の絵柄」も試しているんですよ。このアドバイスをくれたのは水野健一郎さんなんです。水野さんは11柄持ってるって言うんですよ。
ガビン
ところで、90年代あたりの“イラストが元気だった頃”と比べて、いまはある意味出口が狭くなっているじゃないですか。書籍のイラストはまだあるけれど、雑誌がなくなってきた。紙とwebメディアではイラストの扱いがちょっと違いますよね。
牛木
まず書籍や雑誌のイラストですけど、僕はなにかを説明する絵を描けないんですよ。
ガビン
結構イラストレーターとして致命的なこと言いますね。
牛木
何度か挑戦したんですけど、どうしても描けなくて。たぶん評判も悪いと思うんです。
牛木
展示とグッズですね。マーチャンダイズ。このふたつがメインになってきてますね。
ガビン
それは作家性が前に出ている必要がありますよね。イラストレーターの仕事ではない。
牛木
広告にイラストを使うことは今でもありますよね。でもそれはどういう人が起用されているかというと、紙メディアで地道にやってきてる人じゃなくて、アーティスト寄りの人なんですよ。

フィギュアやスケートボード、キャンドル、ふろしき、手拭い、マグカップなど、幅広いアイテムを販売。デザインの多くは本人が手がけ、制作は自ら工場へ発注。販路も国内外に広がり、多様なかたちで展開されている。
牛木
だから広告イラストで起用されるためにも、独自の表現で、リクエストに迎合しないように描いているように見せたほうがいいんです。
ガビン
うわあ、イラストレーターの生存戦略として、アーティストになったほうがよいと。
牛木
下世話な話ですけど、広告は圧倒的にコスパがいいんですよ。
ガビン
でもまあ、広告は広告ですよね。そこと表現はどういう関係になっているんですか?「描きたい絵」が優先されないんですか?
牛木
そこなんですけど、まず僕には、稼いでないと「妻に申し訳ない」みたいな気持ちがあるんですよ。妻に「大黒柱でいないと」みたいなことを背負わせちゃってるじゃないかと。僕が子育てと家事をやるっていうのは、今っぽくていいとも思うんだけど、なんか情けない気持ちにもなっちゃうんですよね。
ガビン
そういう気持ちあるんですね……。では、順序としては稼げる絵の活動の中で自分の描きたい絵を描くって感じなんでしょうか。
牛木
絵を描くことが「職業」でありたいんですね。職業ってお金が伴うじゃないですか。お金とか関係なくただ描きたいものを描いてらっしゃる方もたくさんいらっしゃって、もちろん尊敬してるんですけど、ただそういう人は誰かに迷惑かけてる気がしちゃうんですよね。
ガビン
あー、生活は別の人に頼っているとか、支えてる人がいるとか。
牛木
僕はそれはできないんです。そういう状態では気持ちよく絵が描けないんですよね。誰かに迷惑をかけてまで描いちゃいけないと思って。そういう古い保守的な考えがどうしてもあって。妻が僕のことでムカついてたりするのが嫌というか。だから、今自分ができることで、お金が稼げることをやっていったんですよ。
海外展開と「日本」という武器。

イタリアの老舗百貨店「Rinascente」 の広告ビジュアル。美しい建築で知られる、ミラノの象徴「Rinascente」。淡く柔らかなトーンで描き出した外観が、歴史深い街並みに心地よい彩りを与え、行き交う人々の目を引いた。写真は、フォロワーさんが送ってくれた1枚だそう。
牛木
海外展開はめちゃくちゃ意識してますね。もう英会話の勉強にすごい時間と労力とコストをかけてます。海外に出なきゃいけないという焦りがあるんです。海外の若い世代の人たちは日本人の作品に憧れてくださってて、まだギリギリ需要があるので。
ガビン
主に南アジアの若いアーティストが見に来るんですか? 彼らはどんな感じなんでしょう?
牛木
アジアの若い子たちが描いてるものは、日本のアニメとかに影響を受けてるのでモチーフは日本人のものと変わらないんですよね。ただ、彼らの描くもののほうが日本の若いアーティストより、ポジティブで未来は明るいぜ、みたいな感じで。
ガビン
ああ、それは国のおかれている状況の影響をモロに受けちゃいますからね。
牛木
そうなんです。色使いもめちゃくちゃおしゃれになってきてて、これはこの先はもう敵わないなと。
牛木
僕らは日本の先駆者たちが築いてくださったものに乗っかっていってるだけです。「ザ・日本」ってものに縋ってるんです。
ガビン
海外から見た日本像を意識してるってことですか。
牛木
例えば線が細いほうが評価されやすいとかあるわけです。浮世絵みたいな、手で描けない細さなんですよね。
ガビン
ああ、版画だから。その線の細さが浮世絵を連想させると。

アクションゲーム『ノーモア★ヒーローズ3 (No More Heroes 3)』に登場する、銀河系最凶の宇宙人軍団。中央に位置する、赤と白のストライプタイツのような脚が特徴のリーダー格・FUをはじめ、個性豊かなキャラクターたちをデザインした。
牛木
あと「特撮」です。世界中にめちゃくちゃファンがいるんですよね。
ガビン
牛木さんのヒーローシリーズの特撮感×線の細さで、めちゃくちゃ日本っぽさが出てるってことですかね。そういえばイタリアでやってた広告のシリーズ見ましたけど、あれもかなり日本らしさありますね、言われてみれば。
牛木
そうなんです。日本的なものとして受け取られている。あれ誰も日本のメディアは取り上げないですけど、あんなデパートの広告やった日本人なんていないだろって。あ、ごめんなさい、自慢みたいで。
ガビン
これは海外の話じゃないんですけど、万博の話も聞きたいんですよ。万博にいろんなイラストレーターが絵を提供する中で、エキスポーズ!という「万博の決めポーズ」を取るっていう作品を提供されて、万博に行った時には、あそこで、エキスポーズをして写真に収める、っていうことになってたじゃないですか。あれも狙いにいきましたよね。
牛木
いや、もう、ね、そうですね。ただ、あんなにうまくハマるとは思ってなくて。「チーン……」て感じで終わるなって思ってたんですけど。
ガビン
見事にハマりましたね。でもあれは普段の牛木さんの絵柄ともまた少しズレた感じの作品ですよね。

「EXPO 2025 大阪・関西万博」のウォールアート。心をむき出し(expose)にして世界中の人たちと繋がろう!楽しもう!をテーマに独自に考案したという、エキスポのポーズ。会場では、同じポーズで写真を撮るお客さんの姿も多く見られた。
牛木
万博に対して批判的な方がたくさんいるということはわかってたので、ここで税金から出たギャラで自分の個性を売るようなことをしたらダメだと思ったんですよ。叩かれるぞと思うと怖くて。だから自分の普段の絵柄じゃないものを描いたんです。
ガビン
ああ、その怖さを感じていた方は多かったと思います。登場したイラストレーターのラインナップは面白かったと思うんですけど、さほど目立つことはなかったですね。その中で牛木さんは目立ってました。まあ、デザイナーはとても目立ってた気もしますけど。
牛木
過渡期なんだと思うんですよね。デザイナーも黒子でいると生きていけないというか。
牛木
メディアが機能してない中で、黒子に徹する謙虚さと、自分の存在をアピールする部分を個人がその両方を担うのは、かなり難しいですね。
ガビン
自分で発信しないと、「ない」ことになっちゃいますね。
生存戦略が制作の尻を叩く。

アナログからデジタル、そして水彩まで。一つの手法に固執せず、表現したいテーマに合わせて自在にスタイルを使い分けることで、作品の世界観を多層的に広げている。
ガビン
常に「これから」を心配して、手を打ってきた牛木さんなんですが、今後の人生設計的なものはあるんですか?
牛木
大器晩成がいいですよね。早めに売れたりしないほうがいいなと思ってました。僕の場合は、絵が描けるようになるまでに時間がかかったので、それはよかったというか。
ガビン
ゆっくり成長していくって、それだけ楽しめる時間が長いってことでもあるじゃないですか。
牛木
そうですね。若くしてスタイルを確立して、それでずっと描いているとスランプに陥ったり、楽しく描けなくなったりすると思うんですよ。それは見ている人にも伝わってしまうので。だから、これからを考えると、絵柄をいくつか持っていて、それを切り替えながらやっていけたらと思ってるんですけど。ただその絵柄が世間に受け入れられるかどうかはまったく未知数じゃないですか。
ガビン
可能性を高めるってことですよね。肉体的にヨボヨボになった時の人生プランってあるんですか?
牛木
むちゃくちゃあります。まず鋤の先生には70歳で死ぬって言われてるんですよ。
ガビン
70歳の時に、どんな風にどんな絵を描いているのかは想像してますか?
ガビン
具体的な名前が! 田名網敬一さんは、確かに生涯現役でしたね。あれをロールモデルに?
牛木
田名網さんはどうだったか、田名網さんを見てきた自分はどうできるのかっていうことは考えます。田名網さんは若い時に描いてきたものを、晩年に押入れから出して来て。
ガビン
そうなんですよね。ある種のバンクシステムというか。過去に制作した資産を有効に活用されてました。世間的には、80代後半になっても精力的に活動する田名網さんというイメージだったと思うんです。
ガビン
実際にエネルギッシュだったと思うんですけど、ブランディングも効いてました。
牛木
それを見て、あの自分の白黒の絵とかは、バンクシステムというか、年取った時のアイデアの引き出しを意識してやってるところはあります。
ガビン
マジですか! すげえ! 田名網モデルなんですか!
牛木
それをそのまま使うっていうより、あそこで描いている絵は自分のオリジナルだし。
ガビン
そうですね。将来的にAIに食わせても問題ないし。
牛木
はい、そういう準備はしてます。そしていよいよヨボヨボになってきたら、水彩と。
ガビン
握力ゼロの状態に備えてるんですか、ヤバいですね。
牛木
いやでもみんな考えてると思うんですよ。マティスとかみんな好きじゃないですか。
ガビン
そこですか。確かにマティスの代表作の『ジャズ』とかは、体壊して立てなくなってからのものですね。あれ切り絵ですよね。
ガビン
そんな想像してるんですか。45歳にして老いに備えて。
牛木
ここからどんどん時間が過ぎるの早くなっていくって言うじゃないですか。どんどん早くなっていくんですよね?
ガビン
最初は早くなっていくんだけど、そっから先は早いかどうかもよくわかんなくなっていく感じありますけどね。その年の情報量が大事なんじゃないですか。例えば京都に移住されたじゃないですか。移住の年は情報量多いですよね。
牛木
そうですねー。でも海外移住とかは難しい。海外に行く機会は増やそうと思ってます。ペイしなくても増やしてるんですよね。体感時間を延ばすことって、寿命を延ばすみたいなことであると思うんですよ。
ガビン
物理的な時間以上に、体感時間を延ばすのは、豊かかもしれないですね。
牛木
身体が弱いのに、そうするっていう。いや、身体が弱いからこそ、そうしたいのかも。20代の頃の想像力は、30代の自分のあり方くらいしか考えられなかったんですけど、今は70代をどう過ごすかってことを考えているんですよね。鋤の先生に70で死ぬって言われたのもあって、他の人よりも老いることに備えてます。
牛木
それによる恩恵があるんですよ。50になったらやる、60になったらやるっていうようなことを、焦っているがゆえにどんどん手をつけていける感じで。
ガビン
なるほど。生存戦略が、自分の尻を自動的に叩いてくれてるところがあるんですね。 結果的にめちゃくちゃ長生きして、めちゃくちゃ作品たくさん残してほしいです!
牛木匡憲さん、心配性すぎました。しかし、その心配が創作のエンジンになっているというのが実に面白い。「体が弱い」という設定から、筆圧を水彩にシフトし、絵柄を複数持ち、バンクシステムを構築し、海外へ展開する。心配が先手を打たせ、先手が表現の幅を広げる。「当事者は心配しすぎて笑えないけど、傍からは面白く見える」という世の中のあるあるを、絵と生き方の両面で体現している。「生存戦略」をもっとも楽しそうに語るアーティスト、牛木匡憲。その心配が尽きる日が来ないことを、心から祈っております。
Profile
牛木匡憲(うしき・まさのり)/アーティスト。1981年、新潟県生まれ。武蔵野美術大学卒業後、Web制作会社勤務を経てアーティストとして独立。モノクロの繊細な線画とヒーローモチーフを特徴とする独自の画風で知られ、Instagramで日々発表する「VISITORS」シリーズは2400枚を超える。国内外での展示、グッズ展開、広告イラストなど多岐にわたり活動。大阪・関西万博2025では「エキスポーズ!」のビジュアルを手がけた。京都在住。