料理は、頭ではなく身体で考える行為|極私的なカラダの名著 vol.7 自炊料理家 山口祐加

もっとも身近でありながら、知り尽くせない自分のカラダ。ユニークな活動をする人々が夢中で読み、カラダの解像度を高めるヒントにした本とは? 連載の第7回で話を聞いたのは、自炊料理家の山口祐加さん。家事から身体の使い方を学ぶオールタイムベストと、健康的な食事とは何かを考えるきっかけとなった1冊について語ってもらいました。

interview, text: Momoka Oba

Profile

山口祐加(やまぐち・ゆか)/1992年生まれ。出版社や食のPR会社を経て独立。料理の楽しさを広げるために料理初心者に向けた料理教室「自炊レッスン」や小学生向けの「オンライン子ども自炊レッスン」を主宰するほか、レシピ・エッセイの執筆など多岐にわたり活動中。著書に『自分のために料理を作る 自炊からはじまる「ケア」の話』(晶文社)、『世界自炊紀行 』(晶文社)、『自炊の風景』(NHK出版)など。@yucca88

“自炊料理家”として、料理レッスンやレシピ本の出版、エッセイやポッドキャスト番組の発信など、幅広い活動を行っている山口祐加さん。料理初心者や苦手意識を持つ人も挑戦しやすい、気負わないレシピが人気だ。

しかし山口さんは、自身にとってのゴールは「レシピを数多く生み出すことではなく、より多くの人に料理を好きになってもらうこと」だと話す。そのために世界の自炊を取材する旅に出たり、著書『自分のために料理を作る 自炊からはじまる「ケア」の話』では、「自分のために料理ができない」と考える人々との対話を通じて、“セルフケアとしての料理”を発信している。

「私は、食べることを”身体の時間”だと捉えています。時間に関係なくお腹が空く時は空くし、時間がないからって倍速で食べることはできない。つまり、身体に従うしかない時間だと思うんです。散歩中にいいアイデアが浮かぶという人がいますが、食事もそれと一緒で、人に必要な自然のリズムなのではと考えています。現代の忙しない生活の中、身体本来のリズムを取り戻すための第一歩として、『自分で料理してみるのはどうですか?』って伝えているんです。“身体の時間で生きる”って、まさにウェルビーイングだと思うんですよね」

オールタイムベスト

『手の知恵:秘められた可能性』
著 藤原房子 1979年(山手書房)

家事を通じて、無意識に手が学んでいく。

そんな山口さんの活動に影響を与えたのが、日本の家庭で古くから受け継がれてきた家事における「手仕事」に焦点を当てたこの一冊。手や道具に小さな電球を着けて、包丁で食材を刻む動作、紐を結ぶ動作など、衣食住にまつわる熟練した所作を細かく分析。無駄のない手の動きを視覚的に表現している。

「こうやって手の動きを可視化することで、決して簡単なことをやっているわけではないとわかる。この本が出た当時はきっと、今と比べて『家の中の仕事よりお金を稼ぐことの方が偉い』という価値観が強かったと思うんです。そんな中で、『家事の尊さを世の中に伝えたい』という強い気持ちを感じてかっこいいなと思いました」

家事をただのタスクとしてこなすのではなく、真剣にやる。真剣にやると、だんだんと面白みを感じられるようになり、自分の手で鍛錬していくことの楽しさや気持ちよさを再認識できる。

「今はいかに効率的に家事をやるかが重視されていますが、効率化が加速すると永遠に消費することしかできないのではないかと思うんです。食べることに関してもそうで、一回一回の食事を真剣に食べていれば、無意識に味の記憶が蓄積されて、自炊をする時に深く悩まずに『あの時のあの味を作ってみよう』と楽しめる。そうやって自分の手で実践して、想像どおりに着地できた時って本当にうれしいんですよ」

「料理の良いところは、頭ではなく身体が考えてやってくれるところ」と話す山口さん。ピラティスを習っていた頃、はじめはわからなかった身体の使い方が、続けているうちに自然とできるようになった。その過程は家事にも通ずるものがあるという。

「現代人は何でもすぐに調べようってなりがちですが、実際にやってみると自分に合わないことがいっぱいあると思うんです。例えば包丁の持ち方も、“猫の手”は実は危なかったりする。どちらかというと、ピアノを弾く時のような手のかたちが怪我をしにくいです。世の中の情報どおりに実践しようとするのではなく、『どうやったら怪我しないかな』『薄く切るにはどうしたらいいかな』と考えながらやっていれば、手が勝手にやってくれるようになるはず。そうやって、頭じゃなくて身体で考えて実行することを大事にしたい。『手の知恵』は、まさにそんな“手が知っていること”がわかる一冊です」

最近読んだカラダの本

『酒を主食とする人々: エチオピアの科学的秘境を旅する』
著 高野秀行 2025年(本の雑誌社)

豊かな食事、健康的な食生活とは?

一方、食文化や食生活の認識をより広く拡張してくれたのが、最近読んで衝撃的だったというこの本。世界の辺境を旅するノンフィクション作家・高野秀行が、エチオピア南部の民族・デラシャの暮らしを追った旅の記録だ。ソルガムというイネ科の穀物から作る濁り酒を主な栄養源とするという驚きの食文化を通じて、食の多様性を知ることの面白さと重要性を教えてくれる。

「アルコール度数は5%くらいで、なんと子どもや妊婦さんも飲んでいるそう。栄養失調になる子どもも少なくて、みんな健康だと。思わず、『健康的な食事っていったい何なんだろう?』って考えさせられました。砂糖を摂りすぎたらダメとか、アルコールは1日にこのくらいまでとか、野菜をたくさん食べないととか、そういう情報って全部本当に正しいのかな?って思ってしまうくらい」

ほぼ毎日この濁り酒を主食とする彼らはきっと、「今日の夜ご飯は何にしよう」と悩むことがない。掃除や洗濯をこなすのに近い感覚で、毎日のルーティンとして酒を飲んでいる。

「車ではなく徒歩で移動しないといけなかったり、私たちに比べたらもちろん不便な生活だと思います。でも、これだけシンプルな食生活をしていたら、きっと残った時間を他のことに充てられるはず。日本人の求める豊かさとは違うかもしれないけれど、これはこれで豊かだなって思うんです」

山口さんは全世界12か国、38家庭を取材し、そこで出会った自炊の記録を著書『世界自炊紀行』に記している。中でも特に衝撃を受けたというのが、キューバの食文化だ。社会主義国家のキューバでは、食料は配給制。手に入る食材の種類や量も少なく、ほとんどの家庭の食事が、A定食とB定食のような2種類を行ったり来たりするものだという。

「目の前で美味しそうにA定食を食べるキューバの人たちと、仕事が終わって疲れた頭で献立を考える日本人は、どっちが幸せなんだろう?って考えさせられました。エチオピアのデラシャも、キューバの人々も、食のバラエティという意味では豊かではないけれど、別の視点から見るとすごく豊か。健康的な食生活って何?と今も思考を巡らせています」

山口さんがキューバで出会った食事。取材した中にはこだわっていろいろ作る家庭もあったそうだが、それはとても珍しい例。ほとんどの家庭がこの2種類をベースに生活している。