「怪我のおかげで、挫折ができたんです」ラグビー選手・姫野和樹(前編)

もしも怪我をしなければ、日本代表の主将を務める選手にまでは育たなかったかもしれない。〈トヨタヴェルブリッツ〉所属の姫野和樹は、怪我の度に自分を見つめ直しながら、少しずつ階段を登ってきたという。だが、今も怪我の渦中にいる。左脚アキレス腱断裂から3ヶ月、ハードなリハビリに取り組む姫野に会うために、トヨタスポーツセンターを訪ねた。

text: Toshiya Muraoka photo: Shota Matsumoto

ラグビー選手・姫野和樹

地味で過酷なリハビリの意味。

大音量でJ-popが流れるトレーニング・ジムで、ほとんど誰とも喋らずに、姫野和樹は左足の踵を上げる動作を繰り返していた。周囲の賑やかな選手たちとは違って鬼気迫るという表現が大袈裟でないほど全身から何かを発散している。ルーティンなのだろう。決めた回数を終えると携帯電話を確認しながらほんの少し休憩し、また同じ動作をもう一度始めから。身長187センチ、体重100kg強の巨体が、左足に体重を乗せて僅かな上下動を繰り返している。着ていたロンTはいつの間にか脱ぎ捨てられ、圧倒的な存在感を放つ裸の上半身が、汗で光っている。

「術後3ヶ月が経って、ようやくアキレス腱自体の炎症や腫れは治まってきたので、あとはトレーニングをして筋力を増やしていく、さらに強くしていくのが、直近の課題です。手術をしたので右脚よりも太くなるんですが、腱自体をトレーニングで強化することはできないので、周りの筋肉で支えていく。しばらくはひたすらハードにリハビリをするだけですね」

2時間ほど続いた、じっとりと汗が滲む地味で過酷なリハビリ後のインタビューでは、姫野はまるで別人のような柔らかさを纏っていた。

ラグビー選手・姫野和樹

周囲の賑やかさは集中力を妨げないのかと訊くと、「まあ、いつもあんな感じなんで慣れましたね」と微笑みを返してくれる。パーソナルで繊細な怪我の話題に対しても穏やかに返答してくれるが、きちんと線は引いてある印象を受ける。周囲を気にせずに自分に集中できる強さは、自身を俯瞰で眺められる能力から来るものかもしれない。

2026年3月28日、対・横浜キヤノンイーグルス戦で左脚アキレス腱を断裂。日本代表への復帰も遠ざかってしまった。だが、姫野にとって怪我による休止は、精神的な落ち込みで浪費する期間ではなく、次の自分を作り上げるための準備期間になっている。

若いうちの挫折が、アスリートの根となる。

初めて大怪我をしたのは、帝京大学1年生の時だった。中学生でラグビーを始め、高校生でも圧倒的な能力を誇示し「自分が最強で、完全に天狗になっていた」という。

高校を卒業間近にはジュニア・ジャパンにも選ばれ、オセアニアへの海外遠征に参加した。その際に同行していた日本代表のヘッドコーチ、エディー・ジョーンズに見出され、大学に入学してすぐ、代表合宿に招集される。初めて参加する日本代表候補の菅平合宿初日。姫野は、左足甲を骨折してしまう。

疲労が蓄積しヒビが入って手術が必要であることは認識していたが、それでも休まずに動き続けた結果として、大きなチャンスを逃してしまった。血流が悪い箇所のために骨がなかなかくっつかず、都合三度もメスを入れるほどの難しい怪我だった。治療期間は1年半にも及び、ラグビー人生で初めての挫折を味わうことになる。

「ラグビーができなくて、本当にすごいムカついたと言うか。悔しいし、自分自身にムカついているし、周囲に対してもその怒りをぶつけてしまう。今、思えば子どもですよね。でも、そのタイミングで挫折を経験したことは、僕にとっては本当に良いことだった。人間として自分の感情を抑えることを学んだり、自分に必要なことはなんだろうと考えたり。怪我をするとできることも少ないから、必然的に自分と向き合う時間が多くなるから」

ラグビー選手・姫野和樹のトレーニングの様子

リハビリに取り組みながら、徹底的にウェイトトレーニングを行い、体を一回り大きくして体重は100kgを超えた。ラグビー選手として生きていく下地を作るリハビリの1年半を経て復帰した翌年、3年生になった姫野は、今度は反対の右足の甲を骨折してしまう。

「帝京大学では、ラグビーだけでなく、素晴らしい人間教育をしていただいたんですね。その環境で挫折できたことが、僕にとっては良かった。もちろん『挫折できた』と言えるのは、今、振り返ると、ですよ。当時は言語化できるような頭も、考えに深みもなかったですから」

帝京大学のラグビー部は、脱・体育会系を掲げ、食事の準備や寮内清掃などの雑事は上級生ほど多く担うシステムを採用しているという。下級生には時間的な余裕があり、自己研鑽に費やすことができる。結果、成長が早くなり、それがチームの底上げをする。同時に4年生が率先して働く姿を見ながら、自分の頭で考え、行動する大切さを学んでいく。その人間教育こそが、怪我や挫折を意味あるものとして捉える術を授けてくれた。

「学生の間、若いうちに失敗すると、助けてくれる人がたくさんいるんです。でも年齢を重ねてしまうと、誰も助けてくれないのが現実です。それで孤立してしまう。正直に言って、怪我をした時に、矢印が自分の内側に向かない選手は、どれほど体格に恵まれていようと伸びないですね。『なぜ俺のことを使わないんだ? あいつら全然わかっていない』そんな風に思ってしまう選手は絶対に伸びない。それに社会人になってから挫折を経験すると、精神的にも沈んでしまって再起に時間がかかるから。できるだけ、若いうちに挫折できるといいですね」

キャプテンの責任感が、怪我を生んだ。

精神的な自立を身につけて〈トヨタヴェルブリッツ〉に入団した姫野は、初年度からキャプテンを任される。それは怪我による挫折がもたらした人間的な成長の証かもしれない。プロになって6年目、新たな成長を求めて本場ニュージーランドの名門〈ハイランダーズ〉で厳しい環境に身を置いた後、〈トヨタヴェルブリッツ〉へと復帰した2022年シーズン。リーグ最終節のひとつ前、〈リコーブラックラムズ東京〉との対戦で、新たな壁にぶち当たる。

タックルで倒れた相手からボールを奪う、姫野の代名詞とも言える技・ジャッカルを仕掛けた際、それを防ごうと相手選手4人が引き剥がしにかかった。見事にボールを奪取してジャッカルは成功させたが、その4人の体重が姫野の体に押しかかり股裂のような状態になってしまう。ブチッという音がして、左脚上部のハムストリングの腱が切れた。

「あの怪我は、防ぐことができたか? と問われたら、やっぱり難しかったと思います。人間の体には限界がありますから。4人の体重が乗ってしまったので、仕方ないと言えば、仕方のない怪我だったのかなとは思います。ただ、その前の段階でボールに執着せずに、離して倒れて仕舞えば、怪我することはなかったかもしれない。でも、それは自分の性格上、無理でしたね。自分を責任感が強い人間だと思っていますし、キャプテンですし、そのボールを捨てて自分を守ることはできなかったですね」

そのワンプレーだけを考えれば、姫野の言葉通り、重い責任を背負ってジャッカルを成功させた賞賛に値する怪我なのかもしれない。だが、怪我によって次の試合には欠場せざるを得ず、むしろチームに迷惑をかけてしまったのではないか? そう問うと、姫野は軽く頷いて言った。

「そう、だから僕の判断が正しかったとは思えない。一番大事なことは、怪我をしないことです。あの時の判断を美徳として語るのではなく、間違った判断だったと伝えてほしいと思います。怪我で成長することはあるけれど、重要なのはグラウンドに立ち続けること。僕が考えるリーダーシップも、グラウンドに立ち続けなければ伝えられない」

ボールを離して、怪我をしない選択をすべきだった。もちろん頭では理解できる。だが、実戦では理性の前に体が反応しなければ、第一線では活躍できない。合理的な判断と圧倒的なパッションのせめぎ合い。それこそが、ラグビーの面白さではないか? しつこく問うと、「ラグビーって命に関わるんですよ」と、姫野は自身の発言の重さを理解しているからこその責任感を込めて言った。 

「確かにかつては怪我をしてこそ、ラグビー選手として一人前みたいな価値観があったと思います。でも、僕はそう思わない。命を守る、体を守るのが、大前提としてプレーしてほしい。指導も精神論が多かったと思います。タックルは頭から行きなさい、下に思いっきり行きなさい。日本人は小さいんだから、飛び込みなさい。それが標準的なコーチングだった。でも、それでは脳震盪を引き起こすこともあるし、その体の癖がついてしまっていたら怪我もしやすくなってしまう。低く行くことが正義ではないし、いろんな種類のタックルがありますから。そのマインドは変えていきたいです。今は世界的な選手も多く日本に来ていますし、いろんな考え方や知識を得る機会も増えているので、子どもたちの意識も高まってきていると思いますね。すると、やっぱり強くなるんですよ。がむしゃらな昭和スタイルではなく、正しい方向性で、思いっきり努力することが大切だと思いますね」

姫野は、2022年に左脚ハムストリングの腱断裂の後、2023年のワールドカップ出場の可能性を信じて、手術を回避して保存治療を選択する。鍼灸師でアスレチックトレーナーの佐藤義人の指導を仰ぎ、改めて自身の体づくりを見直していく。4人の体重がかかった不可抗力とは言え、怪我は身体の潜在的なアンバランスの発露であり、細かな筋肉の動きを見直しながらトータルで身体のバランスを整えていった。そして、ワールドカップには主将として出場を果たす。「新たな価値観、新たな知識を得られたので、怪我して良いことはないですけど、良かったと思っています」と、当時を振り返る。以降、怪我をしづらい体づくりに取り組んでいくが、ラグビーの激しさは、その思いも飲み込んでしまう。

ラグビー選手・姫野和樹
Profile

姫野和樹(ひめの・かずき)/ラグビー選手
1994年愛知県名古屋市出身。〈トヨタヴェルブリッツ〉所属。春日丘高校時代には、全国大会へとチームを導き、帝京大学時代には大学選手権8連覇に貢献。2019年ワールドカップでは、日本代表として初のベスト8入りを果たす。2023年ワールドカップでは、日本代表の主将として出場している。著書に『姫野ノート「弱さ」と闘う53の言葉』(飛鳥新社)がある。現在、左脚アキレス腱断裂からの復帰を目指し、リハビリ中。