清岡もえ(レスリング)「ロス五輪は兄妹で優勝。それを叶えたい、楽しみなんですよ」

55kg級では世界ランキング1位に輝いた。しかし、この階級はオリンピック種目ではない。2年後のロサンゼルス・オリンピックを目指し、彼女は新しい階級で戦い続けているのである。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」〈2026年10月8日発売〉より全文掲載)

text: Ichiro Suzuki photo: Yusuke Nakanishi

『Tarzan』No.935 on sale October 8, 2026.

清岡もえ(レスリング)
Profile

清岡もえ(きよおか・もえ)/2003年生まれ。156cm、53kg。22年、55kg級U-23世界選手権優勝。23年、全日本選手権優勝。24年、世界選手権優勝。同年、53kg級全日本選手権優勝。26年、全日本選抜選手権優勝。ALSOK所属。

緊張と不安の中で、いかに挑めるかを国際大会で経験したい。

清岡もえの初めてのオリンピック体験は、2024年のパリだった。といっても、選手として出場したわけではない。女子レスリング57kg級の櫻井つぐみのスパーリングパートナーとしての参加だった。

櫻井は、同じくレスリング選手である清岡の兄・幸大郎とは幼馴染みであり、3人はともに幼少の頃から、櫻井の父親が指導するレスリングクラブで汗を流してきた。

進学した育英大学では、清岡と櫻井は一緒に生活し、互いを磨いてきた仲でもある。もっとも、清岡が教えられることのほうが多かったのだろうが。つまり、パリでは子どものときからの先輩のサポートに回ったわけだ。

清岡もえ・レスリングの様子

「自分の実力でオリンピックというわけじゃなかったんですけど、その場所に行けるっていうことは普通の人じゃできないことなので。だから、そのときはすごく楽しみな気持ちだったし、少しでも櫻井選手の役に立てたらと、全力を尽くそうという気持ちでしたね。U—23とかいろんな世界選手権や国際大会には出たことはあるんですが、やっぱりオリンピックという舞台は違った。もう本当に雰囲気だけでも、あぁ、これなんだって感じていましたね」

パリの会場が、また普通とは違った。シャン・ド・マルス・アリーナは競技をするマットから観客までが近く、一番底面にいる選手にすれば客席が迫り上がっているように見えたはずだ。そんななか、櫻井は確実に勝ちを重ねた。

清岡もえ・レスリングの様子

「やっぱり、ずっと一緒に練習している先輩ですし、小さい頃から一緒にやってきたので、本当に勝ってほしいと思っていました。櫻井選手が金メダルを取ることで、もちろん自分の刺激にもなるなと考えていました。だから、現地ではいい経験ができたと思っています。櫻井先輩と、それに兄が優勝したときは、すごく感動したし、うれしかったです」

櫻井と兄・幸大郎はパリで、見事金メダリストになったのである。

なぜかわからないけど体重が勝手に減っていった。

清岡はもともと55kg級の選手であった。というのも、パリ五輪以降に53kg級に階級を落としたのである。22年にはU—20とU—23でそれぞれ優勝を果たす。他の追随をまったく許さないような強さである。

ただ、55kg級はオリンピック種目ではなかった。53kgの次は57kgがオリンピック種目なのだ。もちろんパリは目指した。53kg級である。

ところが、この階級には藤波朱里がいた。霊長類最強女子と呼ばれた吉田沙保里の連勝記録を、抜き去った選手だ。55kg級の清岡が53kgへ移行しても、なかなか勝てる相手ではない。23年の全日本選抜では決勝、プレーオフと戦ったが敗れ、藤波はパリの53kg級で優勝した。これで、清岡はパリの後に決意する。

「53kg級の頂点に、パリのときから立たないといけない立場だった。それは、藤浪選手がいるとわかっていてもです。倒さないといけないと思っていたし、一番の強敵だとも思っていました。ただ、負けたときに、やはりオリンピックを目指すなら、オリンピック階級でやっていかないとダメだとわかった。早い段階から、自分が53kg級でどれぐらい通用するのかを試しながら、次を目指していこうと考えたんです」

清岡もえ・レスリングの様子

パリの後、同年に行われた世界選手権の55kg級で優勝する。兄・幸大郎も優勝し、よろこびを分かち合った。これが、この階級での卒業証書。そのとき視線はすでに53kg級。ところが青天の霹靂とはまさにこのこと。藤波が57kg級への転向を発表したのだ。「またやりたかったんですけど」と、清岡は笑う。

ただ、階級を変更するというのは簡単ではないはずだ。55kg級で戦っていた頃の清岡の普段の体重は57〜58kg。だから、最大で3kgの減量が必要だった。まぁ、これぐらいならレスリング選手としては普通だ。

しかし、53kg級となるとプラス2kg減らさなくてはならない計算になる。こうなるとかなり厳しい。ところが、清岡にとっても不思議としかいいようのないことが起きる。

「何がきっかけかわからないのですが、パリ以降にちょっと体重が落ち始めて、今は普段は55〜56kgぐらいなんです。べつに意識していないんですが勝手に減ってしまって、コーチとかにも落ちすぎなんて言われました。もっとカラダを作っていかないと、海外の選手とかは同じ階級でもみんな大きかったりするので。カラダや力で負けてしまったら、まったく意味がありませんから」

清岡もえ・レスリングの様子

無意識の意識が働くというのはこんなときに使う言葉かもしれない。そして、カラダといえばパリの翌年、つまり去年、清岡は故郷の高知県へ帰る機会を得た。そこで出会ったストレングス&コンディショニングコーチに、フィジカル面での弱点を指摘される。これが、自分が変わるひとつのポイントだったようだ。

「(レスリングの)構えのバランスや姿勢をまだ改善できると教えていただきました。それには体幹の強化だ、と。それで、継続してトレーニングをするようになった。たとえば、ランドマインプレスとか。バーベルの片側を床に固定して、逆側を手で持って斜め上に押し出すのですが、そんなことをずっと続けた。それまでも、トレーニング自体はやってきてはいたのですが、あまり細かい部分まではわかっていなくて、いろんなことを意識しながらやるという大切さもわかってきたんですよ」

中高ではきついと思った。でも今は楽しさを感じる。

さて、現在の清岡は社会人となり〈ALSOK〉に所属しているが、練習は母校である育英大学で行っている。その練習が驚きなのだ。まず、午前中はウェイトトレーニングだ。

「結構器具系が多いです。自重ではやらないですね。バーベルやダンベル使ってスクワットとか基本的なトレーニングです。上半身の日と下半身の日に分けたり、それにクリーンなどの瞬発系も入れたりします」

そして、午後はレスリングの練習。取材したときは午後4時にスタートして、終わったのは7時30分を越えたぐらいだろうか。内容が激しい。

まず、ランニングに柔軟から始まって、技をかける練習が終わったら、スパーリング。これが、1時間ほど続いたのだ。相手を次々と変え、階級の上の選手とやれば、あるいは男子ともやる。レスリングの練習は何度となく見ているが、ここまで厳しいのは初めてである。これを毎日とは、なぜ続けられるのか。

清岡もえ・レスリングの様子

「いや、中高ぐらいまでは結構きつくて、先生も厳しい方だったので、嫌になるときもありましたよ。でも、やっぱり試合で勝ったりとか、練習でこれまでかからなかった技がかかったりとか、できなかったことができるということを経験していくと、やっぱりやっていてよかったなと思う。今は、厳しさよりレスリングの楽しさを感じるときが多いんです」

9月19日から10月4日まで名古屋で開催されたアジア大会に、清岡は53kg級の日本代表として出場した。これを記している現在(9月18日)は、まだ結果はわかっていない。ただ、ひとつの足跡を残してくれることに期待するだけだ。そして、2年後にはロサンゼルス・オリンピックという舞台が控えている。

「ロスで金メダルを取るには、まだ今の実力ではダメだし、これからさらに強化していかないといけないと思っています。もちろん、レスリングでの技術面であったりとか、フィジカルは大切なんですけど、それ以外でもメンタルの部分、これから先いろんなプレッシャーがあったり、精神的な負担もすごくあると考えています。その中でたくさんの人からの応援を、どれだけパワーに変えられるかも重要ですね。緊張とか不安の中で、いかにいいコンディションで挑めるか。そういうところを、アジア大会とか来年の世界選手権で経験したい。もちろん勝ちに行くのですが、リハーサルじゃないですけど、そんな感じでやっていこうかとも思っているんです。それで、2年後のロス、兄妹で優勝ってなったら、レスリング史にも名前が残ったりして(笑)。それも楽しみです」