「楽しんで練習できる。それが何より大切」短距離選手・白石黄良々

一昨年、突如としてブレイクした短距離選手。だが、それは高校、大学と地道なトレーニングを積み重ねてきたことで花開いた結果だったのだ。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.803〈2021年1月28日発売号〉より全文掲載)

取材・文/鈴木一朗 撮影/中西祐介

初出『Tarzan』No.803・2021年1月28日発売

結果に驚いたのは、白石自身だった。

埼玉県にある、とある陸上競技場が白石黄良々のその日の練習場だった。トレーニングウェアに着替えると、さっそくストレッチを始める。冬も盛りになる時期だが、珍しく小春日和であった。

「今日は暖かくて撮影もいいですね。寒いと関節の可動域が狭まって、思った動きがなかなかできないんです。ケガをするのも怖いですしね。この天候だから、問題なく動けそうです。本当によかった。昨日だったら、最悪でしたよね。ありがたいです」

そういえば、前日は小雨が降り、気温もとても低かった。撮影するのも大変だったろう。白石は、それを考えていてくれたのである。写真を見ればわかるが、可愛い笑顔が素敵な、とてもココロ優しい青年である。アップが済むと、トラックに向かう。そのときにも言葉をかけてくれた。

「練習始めますが、どうすればいいですか」。もちろん、こちらは何の希望もない。今日、やろうと思っていた練習をやってくれればいい。それを追いかけて撮るだけだ。そう伝えると、白石は「わかりました」と、笑顔で言って、トラックに立った。

白石黄良々

脚を上げたり、腕を大きく振ったりして、その動作から流れるように走り出す。その瞬間。とにかく驚いた。その足音がとてつもなく大きいのである。バシッ、バシッという感じで、トラックに響き渡る。

短距離ランナーとは何度も会っているが、ここまでの音量は聞いたことがない。これまで耳にした、パン、パンという軽やかな響きとは明らかに違う。地面を蹴るのではなく、押し潰すような勢いなのだ。何本か走った後、白石は息を整え、再度声をかける。

「次が最後ですが大丈夫ですか」

もちろん、撮れるカットは撮った。それにしても彼の気遣いには頭が下がる。カメラをセットして、OKのサインを出すと、白石はトラックに大きな音を響かせて、走り始めた。

白石黄良々

2019年、この年は白石にとってはターニングポイントとなった。一気に爆発したと言ってもいいだろう。ほとんど無名の、この短距離選手は、4月に開催された織田記念国際の100mで10秒19の自己ベストで優勝。

8月のナイトゲームズ福井では、200mで20秒27をマークした。そして、9月~10月にかけて行われたドーハの世界陸上で200mに出場、4×100mリレーでは第2走者として走り、銅メダルを獲得した。この活躍に一番驚いたのは、たぶん白石自身だったであろう。

「怖いぐらい順調に行った一年でしたね。100mは主体でやっていたので、記録は出せると思っていました。ただ、200mに関してはできすぎ。20秒5ぐらいかなと考えていましたから。世界陸上は変な感じでしたね。テレビで見ていた選手たちとバトンを繫いで、日の丸(の旗)を持ってメダルを首に掛けている。まったく想像できないことが現実に起きて…、変な感じでした(笑)」

高校時代が、今の自分に繫がった。

白石が爆発したのには確固たる理由がある。それが、高校、大学を通じて地道に行ってきたトレーニングだ。もともとサッカー選手だったが、足の速さを買われて、中学校2年のときに陸上競技に誘われた。

ただ、中学校の陸上は、部活動で短距離、長距離を専門的に行うようなところは少ない。「駅伝もやらされていました。5分以上走るのはイヤでしたね」と、苦笑しながら彼も語る。本格的に短距離を学んだのは、高校に入学してから。ここで、基本を徹底的に指導してもらうことができた。

「技術的な部分を教えてもらいました。中学では、走れ、走れ、ばかりだったのですが(笑)。当時は、表現が難しいのですが、走りが汚いというか、フォームがバラバラで、余計なところに力を使っていた。速く走るためには、自分の力をすべて推進力に使えるようにならなければダメなのですが、跳びはねたり、左右にぶれたりと無駄な力を出してしまっていた。トラックにマークを置いて、足を下ろす位置を決めたり、ときおりピッチを速めて脚の回転数を上げたり、大きなストライドで走ったりと、基本的な部分を何度も確認しながら練習しました。あれをしっかりやったからこそ、今の自分があると思っています」

中学ではベストが100mで11秒6。それが、高校では1秒近く縮めることができた。ただし、インターハイでは、準決勝進出ほどの実力。決してトップの選手ではなかった。そして、大東文化大学に進学。ここで、新たなトレーニングを導入する。それがウェイトトレーニングだ。

「10kgぐらい体重を増やすことが目標でした。ウェイトトレーニングで力がついてくると、自分のやりたい動きができるようになっていく。自分の理想の走りが追求できるようになって、そこからタイムもグングン伸びるようになっていきました。具体的に言えば、スクワット、クリーン、ベンチプレス、デッドリフトなどです。それに体幹まわりの筋肉ですね。このときは、1日5食摂るなど食事面にも気をつけていました。とにかくカラダを大きくして、まず土台を作ろうと考えていたんです」

白石黄良々

これが、大学を卒業した1年目に花開いた。前述した2019年の快進撃である。ただ、2020年に入ると、一転して結果が出せなくなる。もしかしたら、白石の他人を思いやる優しさが、悪い方向に働いたかもしれない。活躍して有名になったことで、期待されるプレッシャーに押し潰されてしまったのである。

「環境が大きく変わって、“黄良々君”なんて声をかけられることも増えました。注目されるようになって、ありがたいことに応援してくれる人も増えた。ただ、そんな経験は初めてだったので、結果を残さなくてはと焦る部分が大きくなって無理を重ねたのがよくなかったんです。その結果がケガに繫がり、シーズンを棒に振ってしまった。だから、新型コロナは僕にとってマイナスではなかったんです。昨年、オリンピックが開催されていたら、出場できなかった。1年延長されて、今年の成績で代表が決まることになった。今シーズンが勝負だという気持ちですね」

キックボクシングで、動きを改善。

ただ、新型コロナの弊害を、もちろん白石も受けた。陸上競技場が使えなくなってしまったのだ。短距離選手が存分に走れないというのは、どういう気持ちであろうか。しかし、彼はしっかりと対応した。住居の1部屋を空け、60万円をかけてトレーニングマシンを購入したのだ。

「いつ再開できてもいいように、カラダだけは作っておこうと思ったんです。もうひとつやり始めたことがあって、それがキックボクシングです。家にサンドバッグを置いて。200mのための心肺機能を高めることができますし、骨盤の動きがよくなった。僕は左の骨盤の動きが悪かったんです。右はすごく回旋するんですけど。今やっているのは、サウスポーに構えて、左ストレートを打つこと。このとき、骨盤が回旋して左側が前に出る。できるだけ大きく動かすことで、自然と走りの中で生かされてくる。そんな意識を持ちながら練習をしているんですよね」

そして、競技場を使用できるようになった今、白石はすばらしい選手とともに練習を行っているのだ。それが多田修平。100mで10秒07のタイムを持つ彼は、スタートダッシュでは日本一の速さを誇る。一方、白石は後半の加速に定評がある。まったく違うタイプだから、互いに学び合うことはたくさんあるだろう。

白石黄良々

「彼の考え方だったり、走りに取り組む姿勢なんかは本当に勉強になりますね。意見交換も積極的にしますし、互いに苦手な練習をやり合うことで、それぞれを高めていけていると思います。ほぼ、毎日一緒です」

さらに、白石には力強いパートナーがいる。それが兄の青良さんだ。柔道整復師で、専属トレーナーとして、弟をサポートしているのだ。

「カラダのこともそうなんですが、メンタル面でのサポートが大きいですね。僕の結果がいいときに厳しく接してくれて、悪いときに優しくしてくれる。人に言えないような悩みも聞いてくれますし、全部受け止めてくれるところがとてもありがたいと思っています。世界陸上にも一緒でしたが、やっぱり海外の大きな大会で、家族がいるというのは、すごく安心した気分になれましたね」

白石が言ったように、今シーズンがオリンピック代表を決める正念場となる。現在の日本の男子短距離界は、とてつもなくレベルが高くなっている。白石はどのようにして、代表の座を勝ち取ろうとしているのか。

「100mでは9秒台、200mでは19秒台を狙いたいです。それが出せれば、オリンピックでファイナルに残って、金メダルも目指せる。昨年のダメな時期を経験して、練習に対する考え方も変わってきました。結果を残したくて、あれこれとやっていたのを、今は練習の中でポイントを探して、一つずつ解決していくようになった。誰に惑わされることなく、自分の走りを追求できていると思います。何より、楽しんでできていることが大きい。毎日、こつこつと積み上げていくしかない。そして、それが大きな結果に繫がっていけばいいと考えているんですよ」

今、100mを9秒台で走った日本人選手は3人。200mを19秒台で走った選手はいない。現役では白石は3番目の記録を持つ。もし、200mで20秒を切る走りができれば、オリンピックのメダルは現実味を帯びてくる。今シーズンの活躍に、ぜひ期待したいものである。