あえて山頂を目指さない。歩くことを楽しむ「フラット登山」の魅力。

山頂までの険しい道を黙々と進み、もっと大きく、もっと難易度の高い山々を攻略していく。…そんな“追い込み”系の登山が全てではない。佐々木俊尚さんが提唱する“フラット登山”の魅力とは?

イラストレーション/山口洋佑 編集/小林百合子

初出『Tarzan』No.912・2025年10月9日発売

フラット登山
教えてくれた人

佐々木俊尚(ささき・としなお)/作家・ジャーナリスト。毎日新聞記者などを経てフリージャーナリストとして活躍。大学時代から登山を始め、著書の『歩くを楽しむ、自然を味わうフラット登山』(かんき出版)で、従来の登山観を覆す新しい山歩きのスタイルを提唱する。

山頂に立つことに執着せず“歩く”という行為を楽しむ。

フラット登山

「登山」という単語は「山を登る」という意味ですが、決して「山頂を目指す」とイコールである必要はないと私は思います。どんな山道であっても、そこを歩くという行為そのものが登山なのであって、山頂に立つことはその結果のひとつにすぎません。

登山経験者の中には山の知名度や標高の高さ、難易度などにこだわる人もいますが、そうしたステレオタイプな登山観は一度忘れて、純粋に山や自然の中を歩くことを楽しんでみよう。そうすれば新たな魅力を発見できるのではないか。そんな考えから生まれたのが“フラット登山”というスタイルです。

「フラット」には3つの意味が含まれていて、第1は地理的な平坦さ。登り下りを完全に避けることは難しくても、頂上を目指して斜面を登ることに執着せず、緩やかに移動しながら歩き、その歓びを満喫します。

第2は登山における面倒なヒエラルキーからの脱却。名もなき低山や里山を歩いたと言うと、「それは登山じゃない」などと言われることがあるかもしれませんが、そんなマウンティングは軽やかにスルーです。

最後はもっと気軽に「ふらっと」山を歩こうという提案。どんな気軽な山でも遭難など安全面には万全を備え、自分の力量を見極めることは重要です。そのうえで、軽やかに自由に、山歩きを楽しみましょう。

ウォーキングの延長で始められる気軽さ。

「登山を始めてみたいが、何をどう準備したらいいか?」という相談を受けることがよくあります。たいていの人は登山専門雑誌やサイトを読み込んで、必要な装備の多さや、その購入にかかる費用の大きさに驚き、おすすめの山が遠方だとか、自分にはスキルが足りないなどさまざまな不安を募らせています。

そんな時は家の周囲の地図や風景を見てみてください。ちょっとした丘陵や、遠くに山が見える河川敷なんかがあれば、まずはそこにふらっと出かけ、Tシャツとスニーカーで歩いてみましょう。意外にも気持ちよく、日常では見えていなかった自然の美しさに気づくはずです。

体力的には散歩やウォーキングと変わらないのに格段に清々しく、心が満たされる。それは非日常を感じられる自然の風景があるからです。

山頂に立つことを目的としないフラット登山には、決められたゴールはありません。疲れたら引き返してもいいし、バスやタクシーで帰っても構わない。その自由さ、気楽さがあるからこそ肩の力を抜いて、歩くという行為そのものを純粋に楽しめるのです。

いつもの散歩やウォーキングに自然や非日常の風景を感じられる要素をちょっとプラスしてみる。それがフラット登山の第一歩です。

季節や天気に左右されない自由さ。

フラット登山

「せっかく登山するのだから、快晴の山を歩きたい」。そんな理想を抱く人も多いかもしれませんが、自然の中には雨には雨の、霧には霧の日の美しさがあるものです。雨の森では苔がみずみずしい緑を見せ、霧にけむる高原は幻想的な風景を作り出します。

高い山では危険をもたらす雨や霧ですが、フラットな場所では恵みになるのです。寒く、降雪の可能性がある秋冬の登山は初心者に不向きといわれますが、それはある程度標高が高い山の場合で、冬でも安心して歩ける場所は多くあります。

関東なら千葉・房総半島など、冬でも気温がそこまで下がらないエリアの低山やハイキングコースもおすすめ。海岸沿いの遊歩道を歩き、冬の澄んだ空気を感じるのもいいものです。

ゆるい計画で歩き、新鮮な驚きを知る面白さ。

フラット登山

山頂を目指す登山では、「○○山に登頂する」という明確な目標がありますから、さまざまなメディアから事前に情報を収集したくなります。危険回避のためには大切なことかもしれませんが、予習しすぎると実際の風景を目にした時に感動が薄れ、ともすれば“答え合わせ”的な山行になる可能性も。それはちょっと残念ですよね。

フラット登山の場合は到達すべき山頂も明確なゴールも定める必要がないので、「あの高原の周りをぶらぶらしてみよう」など、ざっくりした計画で気ままに歩くことができます。

簡単な地図だけを頼りに歩いていると、思わぬ風景や動物に出くわし、新鮮な驚きを味わえることでしょう。「行ってみないとわからない」、それが何より面白いのです。

カラダへの負担が少なく、長く続けられる健やかさ。

登山を続けていると「膝を痛めちゃって……」という人に多く出会います。特に高い山を登り下りしたり、長距離を歩いたりする登山では膝関節への負担が大きい。残念なことに膝の軟骨は一度すり減ると再生することはなく、その傷と一生付き合っていくことになります。

せっかく歩く歓びを知ったのだから、できるだけ長く楽しみたい。そのためにも自分の体力に見合ったコースをゆったりと、カラダに負担をかけすぎずに歩くことを心がけるのが大切です。

高い山や長距離のコースでなくとも、変化に富み、美しい風景を見られる道はいくらでもあります。山頂や距離、山の知名度などに縛られることなく、自分のペースで軽やかに歩けるのもフラット登山の魅力なのです。

フラット登山本

佐々木俊尚・著書の『歩くを楽しむ、自然を味わうフラット登山』(かんき出版)