居酒屋は自由度100%のジムである|平松洋子(エッセイスト)
居酒屋はただの飲み場ではない。酒肴は栄養素を学ぶ実践の場だ。小瓶ビールを片手に、自分のカラダが本当に欲しているものを選ぶ。食を深掘るエッセイスト・平松洋子さんが、そんな大人の栄養学を、今夜もカウンターで考える。
edit: Shoko Yoshida artwork photo: Shu Yamamoto
『Tarzan』No.923 on sale April 9, 2026.
Profile
平松洋子(ひらまつ・ようこ)/食を深掘るエッセイスト。昨年、アスリートの身体と精神と食事に迫った『筋肉と脂肪 身体の声をきく』(新潮文庫)を上梓。
わざわざ居酒屋に寄り道せず、さっさと帰宅して風呂に浸かるかスクワットでもすればいいのでは、という正論(なのか?)は、いったん脇に置きたい。居酒屋はサードプレイス。世知辛い縛りや立場、家からも解き放たれる憩いの場所。私は、居酒屋はおとなの銭湯だと思ってきた。のんびりくつろぐ老若男女の頭上に天使の輪っかが見えたりもする。
あれば最高にうれしいのが、小瓶のビール。私の場合、まずグラスに注いだビールで喉を湿らせ、お通しに箸を伸ばしながら(さて、どうしようかなー)と、注文の策を練る。お通しって便利なシステムだな、と思う。きんぴらごぼうとかちくわのカレー炒めとか、なんでもいい、グラスの隣にちょこんと小鉢があるだけで「ただいま助走中」の大義名分が成立する。
おもむろに品書きを眺める。壁に短冊が貼り出してあれば、いっそう目が喜ぶ。端から順番に読みながら一往復、二往復。もろきゅう。ほうれんそうのごま和え。ねぎぬた。ポテトサラダ。枝豆。しらすおろし。谷中生姜。すじ煮込み。白和え。さつま揚げ。板わさ。まぐろ納豆。山かけ。銀鱈の粕漬け。焼き鮭。まぐろの赤身。刺身盛り合わせ。ししゃも。たこぶつ。鰻のくりから焼き。ふぐ皮の煮凝り。だし巻き卵。6pチーズ。季節によっては、もろこ焼きとか酢牡蠣とかなまこ酢とか湯豆腐とか……ああもう、どうしましょう。ビールをきゅー。小鉢の中身はもうない。
居酒屋の品書きは「食べる教材」だと思っている。ずらりと並ぶ簡潔な文字は、料理名であり、素材や調理法の解説でもある。試しに、さっき羅列した居酒屋の品書きをあらためて読んでみてください。くだくだしい説明や飾りは一切ないのに、即座にイメージできて齟齬がない。なのにわくわくさせられるのは、酒の肴だから、という理由だけではないはずだ。
身体が反応して喜んでいるからかもしれない。「食べる教材」は「栄養素のトリセツ」。料理や素材は目に見えるけれど、栄養素は目には見えない。だから、食事と栄養素を結びつける視点を持つことが、身体のポテンシャルを高める鍵になる。その意味で、遠回りのない居酒屋の品書きこそ最強。食事と栄養素の最短距離がここにはある。
いやいや、酒の肴を選ぶときに栄養素を考えるなんて、酒がまずくなるよという声も聞こえてくる。でもね、繰り返すけれど、居酒屋の品書きには面倒な解釈や想像がいらないから心配無用。すぐ変換作業に慣れるし、癖になったらこっちのもの。
さて、私の場合は、小瓶ビールのあと、燗酒を一合か二合、肴は三つ、あらかじめ大枠を決めている。長居をせず、さくっと切り上げてほろ酔い加減を楽しむのがおとなの愉悦。
ええと、どれにしよう……と迷いながら、今夜も楽しい「食べる教材」選び。三つの組み合わせは、例えばこんなふう。
〈しらすおろし、ほうれんそうのごま和え、まぐろの赤身〉
〈ふぐの皮の煮凝り、白和え、刺身盛り合わせ〉
〈ねぎぬた、たこぶつ、湯豆腐〉
“食べたいもの”“目に見えない栄養素”“酒との相性”のトライアングルを脳裏に浮かべ、ぴたりとくるものを探りだす。小学校の家庭科の授業のときに習った「三色食品群」(赤色/血や肉になるもの、緑色/身体の調子を整えるもの、黄色/熱や力になるもの)の図など思い浮かべて脳内が忙しくなるのだが、なに最初だけです。ほどなく、ほろ酔いのさざ波が広がり始める。
食事の過不足を調整できるのもありがたい。最近カルシウムが足りていないかも、と思えば、うるめいわしやししゃも。魚を摂っていなければ、刺身か焼き魚。とにかく軽く収めたいときはスナップえんどうとか、しらすおろし、焼き海苔とか。こちらの勝手な都合をなんでも受け容れてくれるのが、居酒屋のすてきなところ。
ただ、そろそろ席を立とうという頃合い、誘惑に駆られる夜もある。煩悩に襲われがちなのが、おでんの玉子。ついでに厚揚げやこんにゃくを付けたくなったりもして。玉子の欲望に負けるときは「たんぱく質の補給」にすり替えて自己肯定に走るのだが、言い訳を探したいときにも栄養素はとても優しい。
公認スポーツ栄養士の草分け、鈴木志保子さんと話したときのこと。オリンピック選手を始め多くのトップアスリートの栄養指導を手掛ける鈴木さんは、二〇二〇東京オリンピックの選手村の食堂の運営やメニュー指導にも関わったが、アイスクリームやクッキーなど甘いものもたくさん置いたと言っていた。
「監督やコーチに甘いものは控えなさいと言われているから食べない、ではだめなんです。大切なのは、自分はどう食べるのかを選択する能力と考え方。世界中のトップアスリートは、みんな自分で考えながら食べている。自分にとって本当に大切な食事は何か。世の中には情報があふれているけれど、ただ情報や指導に依存するのではなく、自分を主体にして考える思考力や知識が必要なんです」
鈴木さんの知見は、もちろんすべてのひとにあてはまる。いま何が必要なのか、何が欲しいのか、採択するのは自分自身なのだ。その意味において、選択権も決定権もすべて自分の手のなかにある居酒屋という場所は、いってみれば自由度百パーセントのジムかトレーニングセンター。
中国の古い詩に「酒は憂いの玉箒」という言葉がある。いわく、酒は、心の憂いを取り除いてくれるすてきな箒のようなもの。居酒屋のカウンターでふうとひと息、今宵の自分にぴたりとくる酒と肴を相手に、あんな憂さこんな憂さを箒で掃き散らす。身体もスカッと軽くなる。

画/平松麻


