「命はうんこで生まれ、野糞と土葬で循環する」文・伊沢正名|A Small Essay

ウェルビーイングな時間ってなんだろう。様々な人に、その人ならではの視点でエッセイを寄せてもらいます。

text: Masana Izawa Photo: Tarzan

文・伊沢正名

1973年の暮れ、屎尿処理場建設反対を伝える新聞ニュースに私の人生は大きく変えられた。それはつまるところ「臭くて汚い処理場を近所に造られては困る」という住民運動なのだが、しかし自分たちが出した汚いうんこを始末するためには無くてはならないものだ。それなのに、勝手なことを言うな、反対するならうんこをするな! と、私は激しい憤りを覚えた。

ところが、私自身もトイレでうんこをしているわけで、私のうんこもまた処理場周辺の人達に嫌な思いをさせていたのだと、その時気付いてしまった。それからは、素直にトイレでうんこが出来なくなり、さぁ、どうしたら良いのだ……。

実はその少し前の秋、私はキノコを通して菌類の素晴らしい働きを知った。菌類は、枯木や落葉、動物の死体やうんこなどを分解して土に還す。その養分で木々が生育し、その結果として森ができていたのだ。1970年から自然保護運動をしていた私は、ならばトイレではなく裏山へ行って野糞をすれば、人に迷惑を掛けないだけでなく、自然保護にも役立つではないか、と考えた。そうして1974年の正月から、信念の野糞生活を始めたのだ。

以来全国津々浦々、たとえ都会のホテルに泊まろうが海外へ行こうが、基本的に野糞で通し、この半世紀余でその数は優に17000回を超えた。連続日数で言えば、2000年6月1日から2013年7月15日までの13年と45日、計4793日間にも登る自慢の記録を叩き出している。

その間には、谷底に転落しそうになったこともあれば、最中にイノシシが迫ってきたり、たった一度の野糞のためにマチュピチュ観光をキャンセルしたり、都内渋谷の街中でハラハラドキドキの野糞を敢行したこともあった。幾多の困難をくぐり抜けての記録達成だ。うんこに向き合い、その責任を果たすための野糞に、なぜ私はそれほどまでに拘るのか。



2006年から糞土師を名乗って活動する私には、「糞土思想」という哲学がある。それは究極までうんこを見詰めた結果見えてきた「食は権利、うんこは責任、野糞は命の返しかた」というもので、命の循環の摂理にも通じる考え方である。

私たち人間の食べ物は、肉や野菜・穀物など、動物性植物性を問わず、すべてが命ある生き物だ。つまり、食べて生きることは、他の生き物の命を奪って自分の命にすることであり、自分で栄養をつくれないヒトはそれを「生きる権利」として認めるしかない。そして、食べれば出る臭くて汚いうんこは、自分を生かしてくれた生き物の命を奪うだけでなく、それが汚物となった、自分自身の責任の塊と言えるだろう。

その責任を果たすには、奪った命は返せば良いし、汚いうんこはきれいにすれば良い。それが“野糞”によって実現できるのだ。つまり、私が日々野糞に励んでいるのは、命を奪いながら生きている責任を果たすためで、食事の際の「いただきます」や「ごちそうさま」という感謝の言葉などは、単なる自己満足に過ぎないと考えている。

ところで、うんことはいったい何だろう。ほとんどの人は、ヒトか、せいぜい動物のうんこしか考えたことがないだろう。しかし私が言いたいのは、動植物や菌類などまで含めた生き物社会全体、地球規模でのうんこのことである。そう捉えることで初めて、命の循環が見えてくる。

植物で言えば、たとえ何メートル、何十メートルになる大木も、始めは小さな種から芽生えて成長する。キノコだって、ほんの数ミクロンの微少な胞子が、何センチ、何十センチもの姿になる。いずれも栄養を得て大きく成長していくわけだが、その全てが吸収されるわけではない。どんな生き物にとっても、成長するために取り込むものが「食べ物」で、その中の要らないカスとして捨てられるものが「うんこ」だという原則があるのだ。

さて、動物・植物・菌類を問わずすべての生き物は、誕生し、食べて、うんこをして成長し、やがて死ぬ運命にある。命とは、生命活動をするためのエネルギーであり、そのエネルギー源は食べ物だ。動物は、有機物でできた植物や他の動物を食べて生き、菌類は、動植物の死骸やうんこといった有機物を食べて生き、そして菌類がうんことして捨てた二酸化炭素と土中の無機養分が、植物の食べ物になる。さらに植物は太陽の光エネルギーも取り込んで(食べて)光合成を行ない、そこでつくり出した「ぶどう糖(有機物)」を元に体をつくって生きている。そしてこの光合成で捨てられた植物のうんこが、酸素だ。つまり、植物のうんこがなければほとんどの生き物は呼吸が出来ず、生きられない。

そして驚くべきことに、植物が光合成で食べている光エネルギーも、じつは太陽のうんこだったのだ。ビッグバンで宇宙ができて、その中で太陽が生まれ、太陽は核融合反応で水素を食べ、ヘリウムをつくって成長し、やがて超新星爆発で死ぬ。ということは、太陽も生き物の一つであり、核融合という食事後に捨てる光エネルギーが、太陽のうんこなのだ。

即ち、太陽のうんこを食べて植物が有機物と酸素をつくり、それを食べて呼吸して様々な生き物が生きていく。結局命の始まりから循環まで、うんこによって成り立っていたのだ。

実は10年ほど前に舌癌になった私は、加齢と共に身体機能も劣化し、近年は歯がボロボロになり食事も困難になった。しかし入れ歯などは拒否し、喰えなくなれば野生動物のように死ねばいいと腹を括り、それと同時に土葬の実現を本気で探求し始めた。

食べて命を奪った結果できたのが、うんこと肉体だ。やがて死んだら、その遺体も土に還せば新たな命に蘇る。しかも肉の塊である死体は、自然界では最も栄養価の高いご馳走。日々の野糞だけでなく最期は土葬で命を還すのが、理想の人生の閉じ方なのである。

私が子どもの頃は、田舎では土葬が当たり前だった。そして1991年には、私自身も墓穴掘りから棺桶担ぎ、埋葬まで、一連の土葬を経験した。しかし今の日本では火葬率99.97%と、土葬は絶滅寸前の危機。その大きな原因には、土葬における様々な儀式の存在や、それに伴い必要となる多くの人手と労力、時間の問題がある。人々の生活形態が大きく変化した現在、それが困難になったのは事実だ。しかしそれ以上に私が問題視しているのは、土葬は違法だという誤解と、非科学的でデタラメな土葬反対の声が社会に蔓延していることだ。

法律で禁じているのは、墓地以外への埋葬。東京都や大阪市などの一部の過密都市では条例で土葬を禁じていても、それ以外では今でも少数ながら土葬が行われている。土葬反対の最たる理由は、遺体は不衛生で土葬すると水源や井戸水を汚染する、というもの。ところが以前から、墓地はみな人家よりも高い所にある。それで水が汚染されて問題になったことが、一度でもあっただろうか。

爽やかな山の尾根筋などに、「埋め墓」という埋葬専用の墓地が古くからある。そこでは墓穴の水はけを良くしたり、遺体を麻布で包んだり藁を敷いたりして、遺体の分解が良く進むように埋葬をする。すると遺体からの養分で樹が大きく生長し、その樹が水を育み、麓に住む人々の生活を潤す。むしろ、土葬が豊かな水をつくっていたのだ。

私は様々な分野の方々と対談し、「対談ふんだん」という記事をWEBで公開している。その中で最近公開した「土葬社会が動き出す」(前・後篇)では、土葬の素晴らしさや火葬による環境破壊の実態などに加え、最後に簡潔に、どのようにすれば合法的に土葬ができるかをまとめている。興味のある方は是非ご覧になっていただきたい。

Profile

伊沢正名(いざわ・まさな)/1950年、茨城県生まれ。菌類・隠花植物を専門に撮影する自然写真家として活動した傍ら、糞土師として野糞を実践。「糞土思想」の啓蒙に勤しむ。主な著書・共著書に『日本のきのこ』『日本の野生植物コケ』『くう・ねる・のぐそ』『葉っぱのぐそをはじめよう』『ウンコロジー入門』『うんこになって考える』などがあるほか、webサイト「対談ふんだん」も運営している。