〈Notace〉の《yama T1》 | 履きたい、走りたい

styling,text: Masayuki Ozawa photo: Kae Homma hair&make-up: Moe Hikida

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シューズ《yama T1》 25,300円、以上ノータス、問い合わせ先:ノータス公式サイト、Tシャツ 18,700円、以上ポータル、問い合わせ先:シップス インフォメーションセンター、ハーフパンツ20,900円、以上オークリー、問い合わせ先:ルックスオティカジャパン カスタマーサービス、キャップ 13.200円、以上ミーンズワイル、問い合わせ先:ミーンズワイル

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文・小澤匡行

昨年は、梅雨がまさかの6月末に明けてしまった。これは気象庁が統計して以来、最も早い記録だったという。

雨が降ると、1日が長く感じる。そして休日の雨はとても情緒的だ。光が弱い分、景色から色が少なくなって、輪郭がやわらかくなる。今年も、梅雨の時期に何度かゆっくり、雨の代々木公園を走った。細い雨によって風景がぼやけてくるから、周回コースをずっと走っていると、晴れた日よりも浮遊感を覚えやすい。そしてまわりに人影がないとペトリコールを独り占めしているようで、なかなか贅沢な時間だ。今年は少し遅くて、東京は7月20日頃に梅雨が明けた。

公園は木々の下を走っていれば、幾分か直射日光を避けられるものの、雨上がりの湿気はまるで蒸し風呂のようだ。こうなると、自分のスピード感覚は鈍ってくる。いかに日々の距離を伸ばし、タイムを縮めるかが走ることの目的に思われがちだが、雨上がりの夏はどこに意識の焦点を合わせるかが大事になる。ランニングアプリに蓄積されていくデータよりも、自分の感覚に意識を向けたくなる。

前回のコラムで〈ALTRA〉について書いて以来、ベアフットというか、足の自然な動きを促してくれるシューズへの関心が高まっている。この夏の暑い日に、僕は〈Notace〉のトレイルシューズを履くようになった。とはいっても週に1回、約10kmをほんとゆっくりと走るだけだが。

アメリカ生まれの新しいブランドで、創業者のセドリック・スコットは10年以上ランニング業界に携わり、大学院ではランニングのフォームやバイオメカニクスを研究していたという。機能を足せば足すほど、地面を感じにくくなっている近年のランニングシューズに対して、〈Notace〉が目指しているのは、靴を感じることではなく、忘れるようなシューズ。つまり作り込みすぎないことの豊かさがある。

僕が履いている《yama T1》は、スタックハイト15.5mm、ドロップ0mmの薄底シューズだ。学生時代の薄底といえば、早く走るためのレーシングシューズだった。薄さと軽さがもたらす昂る気持ちを、そのままスピードに変えるものだったが、その役割は20年経って厚底が担うようになった。かつてのレーシングシューズと、こうした足の自然な動きを引き出すために削ぎ落とされたシューズを同じ「薄底」と括るのはちょっと乱暴だが、地面をダイレクトに感じるシューズが、ここ10年くらいで自分に気を遣うための存在になったのはたしかだ。

今はまだ、《yama T1》を履くとすぐに脛の外側に心地よい張りを感じる。これはミッドソールが吸収してくれていた衝撃を、足指やアーチが受け止めるようになり、脛の筋肉がきっと着地にブレーキをかけているのだろう。つまりこれまで靴に任せていた仕事を、自分の脚が代わりにやっている。1時間以上も脚をぐるぐると回転させていたのに、まだ使えていなかった部位がこれだけあったのかと思うと驚かされる。少し履き続けたからといって、すぐに速く走れるシューズではないが、この心地よい張りというランニングの適応症状がなくなってくるときは、新しい身体の変化に気づけているはずだ。それはちょっと楽しみな未来でもある。

年齢を重ねるにつれて、すべての物事には表と裏、主観と客観、隠と陽があることを感じるようになり、その二面性を捉えられる論理的な考えや意思決定を意識するようになった。とくにランニングの世界はシューズの性能、一人で走ることと人と一緒に走ること、健康への影響、公道への理解。さまざまな局面で二面性を感じることがある。ベアフットやこうしたシューズも、身体への負担がかかるため、誰にとっても無条件に正しいものではないだろう。でも、夏の暑い日のランニングに、少なくとも考える余白を与えてくれる〈Notace〉は、僕にとって意義深い存在になった。じつは最初に惹かれたのはデザインだった。そこで履き慣れるまでは国内出張の足元に選んで、歩くことから試してみた。それだけでも、このシューズの恩恵を授かれるだろう。

常々、ランニングは自己対話の時間だと書いている。ゆっくり走れば走るほど、脳内だけではなく、日常の生活では意識することのない身体にも出会えるものだ。目には見えない筋肉や血管が、一歩ごとにどう動いているのかを想像してみたり、不摂生がたたって緩んできた二の腕や腹まわりが、自分のランを妨げているのにも気づく。無我夢中に走って追い込む時間も僕にとっては非日常であり、それはとても有意義であるのだが、この歳になると、やっぱりは身体は嘘をつかないもので、自分を少しずつ組み立てるためにランニングの面白さを感じている。静かにゆっくりと、暑さを感じながら走っていると、〈Notace〉が身体の声をいろいろ拾っては聞かせてくれている。