空を読み、鳥のように街を越えて飛ぶ、グライダーパイロット。|ローカルヒーローに会いに行く。vol.4
大会での成績よりもSNSの発信よりも、大切なことがある。メディアに登場することはほとんどなくとも、ローカルたちは知っている。そのストイックな姿勢を、素晴らしいバイブスを。リスペクトを集めるローカル・ヒーローはきっと、その街を少しずつ良い方向に導いていく。第4回は、上昇気流に乗って空を飛ぶスカイスポーツ「グライダー」に魅せられたパイロット・日口裕二さんの話。
text: Haruka Hayashi photo: Kei Maeda

エンジンの動力を持たず、大気の流れに乗って空を飛ぶ「グライダー」という航空機がある。はじめに地上から飛行機などで機体を上空へと曳航し、高度を上げたのちロープを切り離して、その後は上昇気流に乗ることで何百キロも飛び続ける。世界中で大会やレースも行われる「スカイスポーツ」の一種だ。エンジン音がなく、滑らかな翼で気流に乗るその様子は、上空の鳥たちに仲間だと思われることもしばしば。雲の上のどこまでも深い青を望み、海や山をいくつも超える。空を飛びたいと思うのなら、グライダーはその近道だ。
北海道滝川市には、約50ヘクタールの面積を有する広大な滑空場〈たきかわスカイパーク〉がある。滑走路以外に、管理棟、格納庫、遊具に遊歩道まで揃った、日本国内でも指折りの航空公園だ。
多くの滑空場では、土日や祝日にクラブの会員が集まって飛ばす形式が一般的だが、ここでは降雪シーズンを除き、年間約200日専任のパイロットが常駐。そのほとんどの日程で、一般の体験搭乗を受け入れている。1993年に設立されて以来、この場所に携わり、守り続けてきたのが、パイロットの日口裕二さんだ。
取材で訪ねたこの日は「サマートレーニング」の真っ最中。日本中、ときには海外からも訪れる愛好者たちが、一週間集中的にグライダーを練習する、いわば強化合宿のようなもの。趣味で楽しむ大人はもちろん、大学の航空部に所属し、免許の取得を目指す学生たちも多く参加する。

離着陸帯は三本。離陸待ちの間は翼に腰掛け、しばしの談笑タイム。日差しを遮るものがない滑空場では、帽子とサングラスは必携アイテムだ。
日口さんがこの日教えていたのも、北海道大学航空部の学生だ。学生に向き合う日口さんは終始朗らかで柔和な佇まいだが、指導の言葉には毅然とした響きがこもる。それもそのはず、空の上では、ほんの少しの気の緩みが身の危険に直結するのだ。
実は、日口さんとグライダーの出会いもまた、北海道大学の航空部だった。もとはといえば中学生の頃からパイロットになりたかったと話すが、視力が足りず、エアラインや航空自衛隊のパイロットになることは断念。ジェットエンジンの研究で少しでも飛行機に関わることができれば、と進学先に選んだのが北海道大学だった。
「大学のオリエンテーションで校内を歩いていたら、ふと通路脇にグライダーが置いてあるのが目に入って。航空部がいわゆる新歓をしていたんだけど、それを見て、目的地からオフトラックしてグライダーの方に吸い寄せられていったのが最初の出会い。そこでよく話を聞いてみると、アマチュアのパイロットというものが存在するとわかった」
当時はスマホもネットもまだない時代。集めた情報では、視力基準を満たせなければパイロットにはなれないと思い込んでいたが、あっけらかんと覆される。
あっという間に入部を決めた日口さんは、それから夢中でグライダーに乗り続けた。グライダー漬けになるあまり大学の成績は酷いものだったと言うが、それでも、1日でも長くグライダーを続けるため、学部4年間を終えると猛勉強の末に大学院にも進学した。

この頃、時を同じくして始まったのが、滝川市のグライダーを活用したまちづくり計画だった。全国各地でコミューター航空が盛り上がりを見せた1980年代当時、滝川市も空港の設置を検討。「これからは航空の時代が来る。その時代を担う子どもたちに空に親しんでもらおう」と前のめりになった市長がさまざまな施策を打つも、どうにもうまくいかないという時に、「自分ならグライダーを使ってこういうまちづくりをする」と提案書を持って熱弁を振るったのが、日口さんの3年上の先輩、丸伊さんだった。
丸伊さんは市の職員に採用され、計画を主導。最初の10年は、社会人を相手に牧草地を練習場所として活動した。当時大学院生だった日口さんも、週末は滝川に通い、クラブの教官として先輩を支えた。日口さんの他にも、航空部のOBたちはこぞってサポートに入ったという。
「クラブ活動としてはかなり活発なものになったんだけど、やっぱり草っぱらだから限りはあった。そんなとき、北海道開発局の若い職員が訪ねてきてね。『これまでの北海道の開発では、港を作ったり道路を整備したりしてきた。でも今度は空を使って北海道を開拓できないだろうか』って。その人と先輩が意気投合して、数日のうちにスカイスポーツを活用した開発構想の骨格を作っちゃった。道内に拠点となる航空公園をいくつも作ってスカイスポーツを普及させる。さらにそれらを全部結べば、何百キロの飛行コースだってできちゃうんじゃないかって」
話はトントン拍子に進み、国の『北海道総合開発計画』にも盛り込まれ、滝川市の航空公園はそのモデル事業になった。そうして設立されたのが〈たきかわスカイパーク〉だ。

〈たきかわスカイパーク〉の施設内にあるスカイミュージアム。古い機種のレプリカや展示飛行用の機種が格納されている。施設の開放日ならいつでも観覧可能。(写真提供/たきかわスカイパーク)
その頃にはもうすっかり「北海道に残る」と決めていた日口さんは、道内で教職員として勤める道を選ぶ。市内の高校に勤めるかたわら、休日はグライダーの生活を続けること5年。いよいよ転勤というタイミングで、滝川市役所の新設部署「スカイスポーツ振興課」に異動することが決まった。

市役所勤めと言っても、日口さんの主な出勤先は市役所ではなく〈たきかわスカイパーク〉。オンシーズンは長い時間をグライダーやこの移動式管制所「ソラリウム」の中で過ごす。
課内には、北大時代から慕う丸伊さんと、それから課長に、同じく学生時代からコーチとして指導を受けたパイロットの池田さんがいた。いよいよ本腰を入れて仲間とグライダーの仕事ができる! と思った矢先、無情にも、丸伊さんはオーストラリアでのレース出場中、不慮の空中衝突事故でこの世を去ってしまう。
グライダーのレースはスタート前、上昇気流で上空に集まる時が最も危険で、事故の発生も珍しくはないのだという。日口さんも、それからしばらくはレースから遠ざかった。
「器もできて、組織もできたけど、じゃあ何をやるんだというところで先輩がいなくなっちゃった。だからそこから実際にどう発展させるのか、どんなことをするのかっていうソフトの部分は、多くの人からいろいろなアイディアをもらいつつ、僕が形にしていくしかなかった」
それから30年以上、定年退職を経て所属先を変えながらも、日口さんはずっとこの滝川市でグライダー事業を担っている。部下が入ってきたこともあったというが、途中でやめてしまう人も少なくなかった。今は、二人の後輩が日口さんとともに働いている。

〈たきかわスカイパーク〉では、スカイスポーツイベント「サマースカイフェスタ」の運営や一般体験飛行の受け入れなどを行う観光事業、そして消防や警察、近隣の自治体と協定を結び、空の上から地域の安全を見守るスカイパトロール活動、下肢障がい者対応型のグライダーや練習許可を国内で初めて取得し、下肢障がい者に操縦練習の門戸を開いた航空福祉事業など、グライダーを活用した実にさまざまな事業や活動を今日まで行ってきた。
その中でも、日口さんが発案し現在も続いているのが、市内の全小学生を対象とした体験学習「グライダー授業」の教育事業だ。
「グライダー授業」では、飛行機に小学生を乗せ、畑がどう広がっているか、川がどう繋がっているか、自分の学校や家はどこにあるかなどを上空から直接見せる。そうするのは「子どもたちに自分の街を誇らしく思ってほしいから」だと日口さんは話す。
「滝川で育った子たちが、将来北海道を離れた時に自分の街をどう紹介するかというと、半分照れくさそうに『言ってもわかんないだろうな』と思いながら『滝川っていう、札幌と旭川の真ん中にある街です』って、きっとそう紹介するんだよね。でも、例えばその時、思いがけず相手が『滝川ってあのグライターに取り組んでる街じゃない? 』と言ってくれたらやっぱり嬉しいと思うんだよね。その時初めて、その子は滝川にグライダーがあったことを誇りに思い始める。別にそれがグライダーじゃなくてもいいんだけど、僕はそれが一番近道だと思っている」

日口さんは自らの出身地を「関西の無名な街」だという。北海道の外からやってきた人でありながら、こんな風に思う。それは、日口さん自身も自分の故郷について同じ思いをしてきたからだ。
「いつかこの街を出ていっても、自分の街を誇れるような大人になってほしいという願いが根底にあって、そのために今一生懸命種を蒔いている。その種が木になって、実がなり始めると、そこで初めて周りの人は実が取れることに気がつく。そうすれば、今は細々とした組織でも、これをもっと成長させて継続的に実が取れるようにしましょうと、事業に人を投入する動きにも発展する。少なくともそこまで持っていくのは、僕の役目だと思っている」
他にも、川に囲まれた滝川市では、例えば大地震などで橋が崩落した場合、陸の孤島になってしまう地理的なリスクがある。そのような災害があった時、大型の輸送ヘリやドクターヘリなどを行き来させる防災航空基地としての機能も〈たきかわスカイパーク〉は担っている。そうした万全な備えが保てるのも、普段の継続的な活動があってこそなのだ。
こうした着実な活動を重ね、日口さんや先輩が構想した「滝川はグライダーのまち」というイメージは、少しずつ確かに広がり続けている。

一般的な空港とは異なり、敷地に金網はなく、誰でも自由に出入りが可能。「空をすぐそばに感じて欲しい」と滑走路を見渡せるベンチも設置してある。危険が起きないよう、ソラリウムからは滑走路全体に目を配っている。
野暮な質問だと分かりつつも、グライダーに乗っている時の楽しさとはどんなものであるか、日口さんに尋ねてみた。
「体験飛行の楽しさとはまたちょっと違うけれど、愛好者としての面白さで言えば、とにかく自分の経験値を増やすことで、目に見えない空気が読めるようになること。自分がそこに上昇気流があると思って飛んで行ったら、実際に上昇気流があって、それを捕まえて高く、遠くまで飛ぶ。その舞台が北海道みたいな自然豊かで空気の透明度が高い場所なら、こんなに素晴らしいことはない」
分かりやすい例を挙げるとすれば、東京で空気が綺麗な時に見える富士山が、約80キロ先だという。けれど北海道なら、滝川市から約200キロ、稚内の隣にある利尻富士は余裕で見えるというのだから、その差は歴然だ。
「昔、距離飛行で然別湖に行った時、あそこはカルデラ湖といって深い湖なんだけど、そこに雲間から光がぴゅーっと当たって、そうしたらもう、すっごい深い青で。未だにあれ以上に綺麗な湖を見たことがないんだ。自分の飛び立ったところから遠く離れて美しい景色を見られるのがもう楽しくてたまらない。そういう飛行が毎回じゃないけれど、何年かに1回出来たりすると、もうそれをしたくてしたくて、そういう景色を見たくて、また深い青を見たくて、飛んでいきたいって思う」
オーストラリアでは一日で1,000kmもの距離を飛び、ニュージーランドでは国内選手権で3位になったこともある日口さんだが、北海道での距離飛行、特に大鷲やおじろ鷲と一緒に飛行するのが最も楽しいという。

グライダーと同じく上昇気流を使って飛ぶ鳥は、パイロットにとって先生のような存在。「人は間違いなく鳥になれる、
日口さんは「自分が培ってきたものを次の世代に渡したい」と、2021年にグライダー気象にまつわる解説書『雲と風 : A Soaring Story of Clouds and Winds』を出版した。その構想は30年来、あたためてきたという。グライダーは上昇気流を読み解くことで初めて楽しめるスポーツだ。どんなに技術的にうまく飛ばそうとも、上昇気流に乗ることができなければ、たったの5分で降りてきてしまう。逆にどんなに下手な飛行でも、気流にさえ乗っていればいつまでも飛んでいられる。ならば技術を磨くより、気象を学ぶのが近道だと考え、日口さんは学生時代から気象学講座の図書館に通い、論文を読み漁ってきた。
けれど気象学は物理の分野。すべてが偏微分方程式で表現されている。数学にうんざりしてしまった日口さんが代わりに読み始めたのが、風にまつわる文献だった。だから、自著でフォーカスするのも「雲と風」。

「僕が20年、30年かかったものを、3年で身につけられるようにしたいと思って書いた」と話す。中面には雲と風を読み解くための図解が豊富に記されている。
「たとえば今この風はどこからやってきたのか。実は道東の遥か根室沖の方から流れ、えりも岬を回って苫小牧の方に入って、今ここに吹いている。海の上を通ってきたから少し湿気っているでしょ。これがどこかで風の弱いところとぶつかって、上昇気流を生み出す」
今ここに吹く風がどこからやってきたのか、どこへ行くのか、どんな天気をつくるのか、それが手に取るようにわかるのだ。日口さんにとって、空の面白さはとりわけ気象にあるが、決してそれだけではないのだという。
「僕はよくファミレスに例えるんだけど、ファミレスにはなぜ人が集まるかというと、カレーがあって、オムライスがあって、スパゲッティーがあって、ハンバーグもある。でももし1人の人間しかいなくて、その人間がカレーを好きなら、カレーの美味しさしか伝わっていかない。空の世界にもまた、ファミレスみたいに面白いことがたくさんある。綺麗な景色が好きな人もいれば、曲技飛行みたいにアクロバットな飛行が好きな人もいれば、クロスカントリーのような距離飛行が好きな人、気象が好きな人、鳥と戯れるのが好きな人もいる。空を面白いと思ってもらえる人の数が増えれば、その分だけ、また空を好きな人は増えていく」

「でも、こういう経験は言葉でいくら言っても通じないんだよね。いいな、綺麗なんだろうな、って思ってくれるかもしれないけれど、僕が今語ってるのが本当はどんな経験なのかってのは、聞くだけではわからない。だから仲間と一緒に飛んで、そういう景色を実際に見せてあげたい」
空から見る湖のどこまでも深い青、空を飛ぶ鳥と戯れる瞬間、自分もそんな体験ができたらどんなに素晴らしいだろうと羨ましく思うが、実は案外、門は広く開かれているのだと日口さんは話す。
「みんな知らないけど、グライダーを始めるのにそんなにお金はかからない。もちろんトレーニングは必要だけど、学校に通う必要もなければ、自分で機材を持つ必要もないし、年齢も性別も関係ない」
「空を飛ぶ」なんて想像したこともなかったけれど、あなたにもできると言われて空を見上げると、そこにどんな世界が広がっているのか、途端に知りたくなってくる。ifの話だと思っていたことが実はずっと身近だったのだとわかると、なんだか急に高揚感が湧き上がる。
じゃあやってみよう、と思う時、いつでもそれを受け入れてくれる場所がここにはある。そしてその場所を守り続けるヒーローがいる。
そんなふうにしてこの場所がこれからもあり続けることが、この街のアイデンティティになっていくと信じて。

Profile
日口裕二(ひぐち・ゆうじ)/1960年大阪生まれ。1980年、北海道大学航空部でグライダーを始める。高校教員を経て、1993年滝川市に入庁。グライダーを活用したまちづくりに取り組む。2021年滝川市役所定年退職。現在は、「たきかわスカイパーク」をベースに(公社)滝川スカイスポーツ振興協会の理事、事務局長、チーフインストラクターとして活動している。



