犬と歩む―「心も体も軽くしてくれた、犬との生活」清水麻由子(トレイルフードメイカー)とオーティス
古くから人間と共に生きてきた犬。その関係性は時代とともに変わりつつあるが、人生を共に歩む存在であることは間違いない。でも、人はどうして人生の相棒として犬を選ぶのだろう。犬との暮らしを通じて健やかな日々を送る人々に会いに行き、人と犬のウェルビーイングについて探っていくこの企画。今回は長野県上田市に暮らし、無添加のトレイルフード製造・販売を行う清水麻由子さんと、雑種犬オーティスのストーリー。
text: Yuriko Kobayashi photo: Tomohiro Nakamichi

散歩は近所の山へ。
「犬と一緒に暮らしたい」。そんな思いから大きく人生を変化させた人がいる。長野県上田市で夫と2人で暮らす清水麻由子さんは、茨城県出身。美術短大への進学を機に上京し、以来20年以上東京で暮らしてきた。
「子どもの頃から家に犬がいたので、実家を出た後も本当は犬と一緒に暮らしたかった。でも東京ではペット飼育ができる物件が少ないし、そんな広い部屋に住めるわけでもない。現実的に仕方ないと思いつつ、いつもどこかに犬との暮らしを求める気持ちがありました」

9歳を過ぎ、散歩の距離が短くなってきたオーティス。清水さんもゆっくりと歩く。
9年前、夫の故郷である上田市へ移り住むことに決めた。
「理由はいくつかありますが、シンプルに言うと、東京での生活に限界を感じたということでしょうか。家賃を払うために過度に働くことや、自然が遠いこと、ひとたび災害が起きるとパニックに陥る都市の脆さ……。ずっと不安に感じていたものの、いざ東京を離れるとなると、なかなか決心がつかなくて」
背中を押してくれたのが、犬だった。
「上田なら一軒家に住んで、犬と一緒に暮らせる。自然豊かな環境だから、犬も自分たちも、のびのびと、健やかに生きられるんじゃないか。そんなふうに考えたら、移住も悪くない、いや、きっといいと思えてきたんです」

週末を過ごす小屋で。
移住を決めてほどなく、保護犬の里親探しをする団体を通じて出会ったのがオーティスだった。真っ黒な体に垂れた耳、足袋を穿いたような白い足。実家で飼っていた犬によく似ていた。
「これまで飼ってきた犬の中で一番好きだった子にそっくりで。足先だけ白いところも同じ。夫はあまり乗り気ではなかったのですが、とにかく私が『いいよね、飼っていいよね!』って、押し切る感じで(笑)。上田に移住して7ヶ月後くらいに、うちにやってきました」

真っ黒だった体や顔は、歳を重ねるとともに少し白い毛が混じってきた。
念願叶って始まった犬との暮らし。が、実際は楽しいことばかりではなかった。
「保護される前、母犬ときょうだい犬と群れのような感じで暮らしていたのかもしれません。一頭になるとすごく不安がって、留守番なんてもってのほか。散歩中にちょっと繋いでおくだけでも盛大に吠えて、子犬の頃は大変でした。9歳を過ぎた今も神経質ではありますが、あの頃を思うとかわいいものです」
なんとか不安が和らぐよう、あの手この手と思案した。どれもうまくいかず疲弊したり、怒ったりもした。こと夫が出張で家を空け、犬とマンツーマンで接しなければいけない期間は骨が折れた。
「どんな状態でも朝夕の散歩は必須ですから、とにかく歩きにいくわけです。そうやって過ごしていると、少しずつ変化を感じるようになって。ひとつは心身の健康。東京の生活では寝つきが悪くて、夜あれこれ考えたり、悩んだりしていたのですが、朝早く起きて散歩すると、夜こてんと眠れるんですね。そうすると無駄にモヤモヤしないし、体調もいい。心も体も軽くなっていくような感じでした」

山では動物や鳥のたてる音や声にじっと耳を澄ませる。
オーティスと接することでも心境に大きな変化があった。
「犬はいつだって自分の感情に素直で、それをこちらにストレートに出してくる。かたや自分は人からどう見られているかを気にしたり、他人と自分を比較して勝手に自己嫌悪に陥ったり、起こるかどうかどうもわからない未来のことを憂いたり……。なんだかもうややこしいな!って。オーティスを見ていると、今、この瞬間、自分の気持ちにフォーカスしていいのかもと思えるようになってきたんです」
今、清水さん夫婦は自宅から車で30分ほど離れた山に近い場所に土地を買い、そこに自分たちの手で家を建てようと計画している。まだ電気も水道も通っていないが、もともとあった小さな小屋を手直しして、週末はそこで過ごすこともある。

電気も水道も通っていない山の小屋。「あれこれ工夫をして不便さを楽しむのもいい」と清水さん。
「東京の暮らしに限界を感じたのは事実ですが、それ以前に、自然の中で自分たちの力で生きてみたいという思いをずっと持っていました。家を建て、作物を育てたり採ったりして、小さな循環の中で生活していく。何かが嫌になって移住したのではなくて、実現したい暮らしがあってここに来た。今そう素直に言えて、やりたいことがどんどん広がっていく感覚があります」
インタビューの途中、仕事を終えた夫の大輔さんが戻ってきた。オーティスは尻尾を盛大に振って出迎えて、みんなで散歩に行こうと誘う。

夫の大輔さんが戻ってくると大喜び。家族(群れ)が揃った時が一番落ち着いている様子。
「オーティスは私と夫と自分が群れだと思っているんでしょうね。私か夫かどちらかが欠けると嫌みたいで、こうして群れが揃うと安心するんです。夫婦喧嘩したり、家に微妙な空気が流れたりするとソワソワして、体調を崩すことも。群れが平和で、みんな心穏やかでいることが何より大切なんだって、改めて教わりました。そしてそれを保つことが、いかに難しいのかということも(笑)」
9歳を迎えたオーティスは人間でいうと50歳くらい。それでも時々、子犬のようなつぶらな目でこちらを見上げてくる。「どうしたの?」「大丈夫?」、そんな声が聞こえてきそうな表情で。

小屋での定位置はお気に入りのマットの上。
「早く家を建てなくちゃとか、たまに焦ったり、心が乱れたりしている時にこんなふうに見上げられると、はっとします。こうしてみんな健康で、平和でいられることがまずもって幸せじゃないか。当たり前のことなんですけど、私はまだ未熟ですね。修行が足りないなって、犬に勉強させてもらってます」

Profile

清水麻由子(しみず・まゆこ)/1975年、茨城県生まれ。〈Chip the Paint〉名義で木工作家として活動し、近年は八ヶ岳周辺で育てられた素材を使った無添加のトレイルフード〈The Small Twist Trailfoods〉の製造・販売も手がける。2017年に東京から長野県上田市に移住し、夫と共に米や野菜を育てながら、できるだけ自分たちの力で生きる暮らしを目指している。
https://smalltwist.theshop.jp/
https://www.instagram.com/the_small_twist/



